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民主主義はゴールなのか ~小林秀雄の答~

2014年05月26日

1. 日中問題に対する政治家のコメント

 私が理事をつとめる言論NPOでは政治家や専門家を招いて、クローズの勉強会を定期的に開いている。会費が高いので、薄給の身には痛いところだが、それでも参加したくなる面白さがある。
 先般は、外交や安全保障がテーマで、当然のことながら日中問題、日韓問題に議論が及んだ。この中で、「日中関係については、表面的に繕って日中米で対応するだけではだめだ。中国人と日本人が同じ目線になって議論する。そのためにも、中国の方々にも日本人と同じようなスタンダードを理解してもらう必要がないか。たとえば、言論の自由の重要さ、軍事費よりも社会福祉に予算を投入したほうがよいなど、民間レベルで伝えていってはどうか」という趣旨の意見が、政治関係者から出された。

 この意見を聞いた時、私はすぐさま違和感を覚えた。「それは相互理解ではなく、内政干渉ではないのか?」と。私は、以前、アフリカや東アジア、東南アジアなどの途上国のNGOを支援する仕事に着手していたこともあり、「cultural sensitivity」つまり、「相手の地域や文化に敏感であること、尊重すること」を叩き込まれたせいかもしれない。
 外交というのは、互いの主義、主張、価値観が異なることを前提に、互いに共存するための方法を平和的に模索することなのではないだろうか。福祉よりも軍事を予算を充当しようが、社会主義を選択しようが、民主主義を選択しようが、それは中国国民が選ぶことではないのか。そのように考えると、先の政治関係者の言葉に、背筋が寒くなるような危うささえ感じてしまったのだ。

2. 小林秀雄の民主主義論
 そんな記憶も薄れた頃、『小林秀雄 学生との対話』新潮社を読んだ。ベストセラーだけあり、一挙に読ませてしまう面白さがある。無論、すべての主張に賛成ではないが、先の勉強会で疑問を覚えたことに、ど真ん中から応えてくれるフレーズに出会った。

「現在使われている民主主義の思想というのは、まあ平等思想だ。政治的に平等だということですね。
 民主主義という思想で人生の問題は全然片付かないよな。それはまた別の問題じゃないか。そういうふうに考えればいいので、民主主義を人生観と間違えるのは一番いけないね。
 ただ、民主主義の政体と言うものはある。これは厳としてあります。民主主義的な制度というものは、封建主義制度よりいいじゃないですか。これは争うことができないじゃないか。歴史はそういうふうになっていったんでしょう? で、現実としてそういう政体をうまく運用できて、僕たちがうまく生活していければいい。僕はそれだけでいいんで、民主主義というものが一体この日本を救うのか、幸福にするのかなんて、そういうふうに僕は考えたことなんか一度だってない。
 どうして、民主主義なんていう言葉を、そんなに君、大事な大きな言葉と考えるのかな。僕は何主義でもいいと思うんだよ。
 政治というものは目的を達成すればいいのだ。目的って何だ?僕らの幸福じゃないか?それを達成すればいいじゃないか。
 僕は政治というものをそんなふうに考えています。」p84、国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄 学生との対話』新潮社、2014年

 まさにそうだ。社会課題の解決によって国民の幸福を達成することが政治の目的である。その政体のスタイルが民主主義がよいのか、社会主義がよいのか、あるいは社会民主主義がよいのかは国民が決めることだ。さらにいえば、数多の社会課題の解決の結果、どの主義を選択するのか輪郭がはっきりしてゆくのかもしれない。
 時として、「民主主義のために」と民主主義を社会のゴールとして語られることがある(時々、アメリカのデモクラシーにはそのような場面がある)。しかし、それは違うだろうと思っていたが、小林秀雄氏は明快にその点を突いている。

 ちなみに、私は何主義がよいかと問われれば、民主主義だ。しかし、それは現存の選択肢の中の相対評価の結果であり、絶対ではない。

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