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麻生大臣の「ナチスに学べ」発言について

2013年08月01日

1. 麻生氏の「改憲の手法をナチスに学べ」
7月29日、麻生氏が、東京都内でのシンポジウムで「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」などと語った、という。これに対して、ドイツ、アメリカ、韓国などから次々と批判の声があがっているという。
 とんでもない話である。それも、2重の意味で。

2. 2重の過ち
第1に、人権意識の低さである。それは、国際感覚の欠如に直結する問題である。人権にかかわるイエローカード発言は、麻生氏のみならず、最近、著名な政治家にもみられ、大変気になっていた。 そして、海外の人々は、この点について私たちが思う以上に厳しくこの点をみている。先般、言論NPO代表の工藤氏が、ケネディ女史が駐日大使になることについて、次のように述べていた。すなわち、彼女が生粋のリベラルであり、女性であり、人権問題については敏感な人物であっるという点だ。米政府が駐日大使としてケネディ女史を選んだのは、日本でのケネディ人気だけが理由でなく、日本の右傾化や政治家の発言へのけん制の意味も含んでいるのではないか。日本の政治家は、この点をどこまで理解しているのだろうか。

第2に、歴史認識の不正確さである。確かに、ワイマール憲法の改正に直接手を下したのはナチス政府である。麻生氏の発言からは、ナチスの巧みなプロパガンダゆえに、ドイツ国民を全体主義へと誘導し、改憲を可能にしたのだという、思い込みが垣間見れる。さらにいえば、無知な国民はプロパガンダで誘導できる、と言わんばかりである。
 しかし、それは明らかに誤りである。改憲に至るまでには、ワイマル憲法が制定され、ナチス憲法に改憲されるまで、およそ15年にわたって政治、経済の大混乱があったことを忘れてはならない。すなわち、経済不況と大失業、巨額の賠償金と財政破たん、政権交代と選挙を頻繁に繰り返していたこと、低投票率ゆえに政党が分散し合意形成ができなくなり、議会が機能しなくなったということ、政党や議会の拘束を受けない内閣を作ろうとしたブリューニング内閣が存在したこと、そして、人々は底知れない生活の不安の中で、政治に失望したこと、ナチスの政策の質の低さやユダヤ人虐殺に疑問を抱きながら、見て見ぬふりをしていたていた人々がいたことである。
 また、ヒトラーが首相になった時、ナチスは200万票を失っており、国民の支持にも陰りが見え始めていた。実は、ヒトラーは、首相になった1933年以前より、第1党の党首になりなっていた。だが、その奇人ぶりを嫌った大統領が、ヒトラーには首相の座を与えていなかったのである。ところが、政治内部の権力争いの中で、棚ボタ式にヒトラーが首相の座についたという経緯がある。国民の支持が絶対的な後押しになっていたわけではなかったのだ。だが、手続き論でいえば、ヒットラーは第1党の党首であったので、議会制民主主義制度にのっとり首相になったことになる。
 
 真に、学ぶべきは、この政治の混乱の過程であり、それが結果的に20世紀の悲劇を招いたということではないか。
 そして、私たちもこの出来事から学ぶべきであろう。すなわち、政治の過ちをなし崩し的に許したり、無関心を装う国民は、政治家にとって、たやすく誘導できる安易な存在になってしまうということを。

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