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オープン・ガバメント ~問われる政府と市民の信頼~

2013年12月30日

NCM_00341. 政府情報保護の対極
特定秘密保護法案をめぐって大荒れだ。本案が特定の政府情報を一定期間閉じることであるとすれば、その極にあるのがオープン・ガバメントだろう。オープン・ガバメントとは、OECDを中心に議論されてきた概念で「政策および公共サービスの設計・提供へ市民参加を促し、政策および民主主義社会の向上を目指す」ことをさす。そのためには効率的な情報開示が必要であるため政府の電子化とセットで議論されることが多い。

 2013年11月15日、政府の行政改革推進本部のもとで、学生による行政事業評価セッション「オープン・ガバメントへ ~政策を身近に捉えてみよう~」が開催された。行政改革担当大臣を囲み学生と教員が東西に分かれて、各府省が実施する行政事業を評価し発表するというもので、その様子はインターネット動画で配信された。東側は私と教え子の東京大学の学生2名、西側は大阪大学の学生3名と教員1名で構成されたが、あくまでも主役は学生である。阪大生は同大で実施した「模擬事業仕分け」に参加した経験をもとに、自らが仕分け人として担当した教育やエネルギー事業の有効性、妥当性や予算要求の課題について論理的に批判した。
 東大生は、政府の「地域社会雇用創造事業」(NPOや社会企業での雇用と起業を促進することで社会課題の解決を目的とする事業)の調査結果について発表した。彼らは、事業とその根拠となる政策を分析した上で、委託金を受けた団体の活動状況を調べた。政策の流れを川上から川下まで追いながら、末端の事業の実施団体まで調べ、事業成果や説明責任の状況を確認したのだ。学生は事業成果の検証が不充分であることや政策や事業の立案方法に問題があることを図解しながら説明した。
 大臣は、有識者が行う行政事業の評価と比較しても学生の意見には遜色がないと驚きの表情を浮かべて感想を述べていたが同様に思った者は少なくなかった。

2.「政策評価」社会の一員
 立派にプレゼンを成し遂げた学生たちであるが、控室で待機している間はとても緊張して、時折幼さも垣間見られた。また、セッションの10日程前に担当の役人がキャンパスを訪れ学生に事前説明を行った際、学生が服装について質問すると「普段着でよいです。でもズボン下げたのだけは辞めてくれる?」と真顔で答える役人とのやりとりを見て、笑いをこらえるのに苦労した。
 学生たちにとってこの機会は予想以上にインパクトがあったようだ。彼らは、政策は遠い存在だと思っていたが、公開情報でかなりの内容を理解できることに気づいたことや自分が社会の一員だという実感を持てたと感激の表情を浮かべて所感を述べていた。
政府の政策や事業は一部の識者にしか理解できないものという印象が強い。だが、方法論を学び情報にアクセスすることができれば、一般市民も政策や行政事業の課題を建設的に指摘することができることを学生たちは教えてくれている。
 もうひとつ印象深いことがあった。本セッションの事務局を務めた若手の役人が、学生達に「この仕事を担当したことを誇りに思う」と記したメールを送ったのだ。普段は霞が関で政策立案の仕事に従事している彼にとって、歓喜する学生たちの表情を見たことは、いつもとは違う新鮮な達成感を得る機会になったのではないだろうか。

3. 健全な緊張が暴走を防ぐ
 政府は情報を開示し、市民はそれを建設的に批判する。こうしたやりとりを繰り返すことで政策や行政サービスが継続的に改善されてゆく。オープン・ガバメントが求めているのはこのような政府と市民の間の好循環ではないのか。
だが、それ以上に建設的な批判や緊張関係が求められるのは権力の暴走を防ぐためだ。何故ならば権力を行使することのできる政府は常にその危険性を孕んでいるからだ。そして、健全な緊張関係は、批判しあいながらも政府と市民が敬意と信頼の糸で結ばれていなければ成立しない。そうでなければ容易に不健全な対立と不信の悪循環に転じてしまう。
先の学生と役人の会話は、綺麗事として議論の隅に追いやられがちな市民と政府の信頼の問題を思い出させてくれた。

日刊工業12月30日「卓見異見」 筆者エッセイより

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