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ドイツ国民とナチスの記憶 ~克服までの60年~ 

2015年06月07日

1. ドイツ人に投じたドラッカーのナチス論
 日独シンポジウム「日独がめざす平和と民主主義の新しい展望」(言論NPO、エーベルト・フリードリッピ財団共催)が6月4日に開催された。私は主催団体の理事として、レセプションで挨拶をすることになった。恩師ドラッカーのナチスの批判的分析、すなわち、何故、ドイツ人はナチス全体主義に陥ったのかについて話してほしいと言われたのだ。だが、壇上に上がりはっとした。ドイツ人の前でナチスを話すことは相手を侮蔑したり、傷つけることになるかもしれない。しかし、思い切って話してみることにした。すなわち、当時の経済・社会状況に鑑みれば、どの国でも全体主義に陥る可能性があったこと、それを思いとどまらせたものは「与えられた民主主義」と「獲得した民主主義」の違い、つまり、国家統一の手続きとしての民主主義の記憶しかない国と、市民革命を通じて自由と平等を勝ち取った記憶のある国との違いであることを述べた。
 スピーチが終わると数名のドイツ人が私のもとにやってきたが、中でも真っ先に駆け寄ってくれたのがマディアス・バルトケ氏(ドイツ連邦議会議員)だった。それは私にとって何よりもあり難く、そして手ごたえのある反応だった。なぜならば、バルトケ氏は本シンポジウムのトップバッターとして、戦後ドイツが過去をどう克服したのかを赤裸々に語ったからだ。

2. ドイツ人なナチスの過去をどう克服したのか
 バルトケ氏は、ドイツ人がナチスの歴史を直視し、罪を認め、克服するまでに60年を要したとし、その過程を4つに分けて説明した。

 第1期は「抑圧」の時期というもので、戦後から1960年前後の時期をさす。終戦後のドイツは復興と再建が最優先で、国民はナチスを直視していなかったし、またしようとしていなかった。だが、その後、アメリカによってアウシュビッツの周知徹底などドイツ国民への再教育が施され、人々はその事実に目を向け始める。初代西ドイツ大統領のテオドール・ホイスはユダヤ人迫害に対するドイツ人の集団的責任ついて「責任はなくても恥辱はある」と発言するなど、ナチス問題に関する認識が高まっていった。

 第2期は「罪をめぐる論争」の時期で、1960年~1970年代後半をさす。この時期にはアウシュビッツ裁判で22人が有罪となり、哲学者ハンナ・アーレントが、ナチス幹部アイヒマンのイスラエル裁判の様子を描写した『イスラエルのアイヒマン ~悪の陳腐さについて』を出版した。その影響を特に受けたのは若い世代だった。学生運動が各地で起こり、ナチス関係者が未だに残っていた政界に改革をもたらした。その後、ブラント首相率いる社民党政権が誕生する。ブラント首相は隣国である東欧諸国との関係改善に尽力した。特にポーランドとの条約の際に、ワルシャワのゲットー前で跪き献花をししばらく立ち上がらなかったが、そのことが国民の心を打った。その後両国間で歴史教科書に関する共同研究が始まる。また、学者の間でも論争が始まった。ナチスによるユダヤ人虐殺は、他国にみられる虐殺と同種のものか否か議論されたが、ナチスのそれは官僚組織の命令下で、きわめて組織的にあたかも工場作業のように大量殺戮が行われたという点で、他に類をみないものであると結論づけられた。

 第3期は「歴史的な罪の受け入れ」の時期で、1980年代後半から20世紀末までをさす。この時期になるとドイツ市民の間で意識が高まってゆく。米国テレビドラマ「ホロコースト 戦争と家族」がドイツで放映され高視聴率を得たが、同時にそれは罪の意識がドイツ人に浸透していったことを意味する。そして、自国を嫌う「嫌国」の風潮が市民の間で広まっていった。帰属意識の先を自国のドイツではなくEUに求め、ドイツはどの欧州の国よりもEU統合に期待した。1985年にはヴァイゼッカー大統領は戦後40周年記念演説を行うが「ドイツ人が難しい祖国、歴史を背負っている」と述べた。

 第4期は「過去からの解放」であり21世紀初頭から現在までをさす。バルトケ氏は、自国を嫌う風潮が変わってきたと感じられたのは2006年のワールドカップであったと述べる。ドイツ代表チームに多くの移民系ドイツ人が加わり、ドイツ人は一体となってワールドカップの成功を応援した。そして、最近では「好きな国」のトップにランキングされるようになったことを紹介し、ドイツ人がドイツ人であることを胸を張って語れるようになったという。実に60年の月日を経た長い道のりであった。

3. 「与えられた民主主義」から「獲得した民主主義へ」
 前述のように、ドイツ人の歴史認識と過去の克服はいばらの道だった。しかも、当初は復興に忙殺され、歴史を直視しようとしていなかったのだ。外圧によって、いわば強制的にナチス問題に気づかされることになる。もし外圧がなければ曖昧にして長らくやり過ごしてしまったかもしれない。しかし一旦、気づくと長い苦悩の時を過ごさねばならなかった。しかし、逃げ出さずに直視したことによって得られたものは大きい。それは民主主義や自由を真から尊重する姿勢や寛容さ、あるいは考える力の深さかもしれない。
 ドイツには市民革命によって民主主義を獲得した歴史がない。だが、過去に向かい合った60年の苦悩を経て、確かに民主主義を獲得しているようにみえた。

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