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ドラッカーが称えた江戸のボランタリー社会

2015年05月28日

今年はドラッカー没後10年。ドラッカーが親日派で、日本社会の良き理解者であることはよく知られているが、江戸時代の庶民のコミュニティを絶賛していたことはあまり知られていない。

1. 第3の日本 ~営利と非営利が共存する社会~
 ドラッカーはその著書『非営利組織の自己評価手法』(ダイヤモンド社、1995年)の中で、日本は、高度に中央集権化された官僚機構と結束の高さゆえの企業力でよく知られているが、第3の日本については意外に知られていないと述べている。日本の大学には国立と私立が、病院には私立と公立が共存していることを例に挙げ、多くの非営利組織が日本の社会機能の多くを支えており、それは世界的にみれば珍しいことであると指摘する。
 しかし、民間が公共を支える社会は、日本人にとって新しいことではなく、むしろ江戸時代の日本人の生活に着目すればごく普通のことであったというのだ。ドラッカーは、海屋などの江戸時代の書画家などを例にあげながら彼らが開校した塾や茶道や生け花の流派、結、講などの様々な民間非営利活動を挙げ、それらが活発に機能していたことを指摘している。だが、最も興味深かったのは町民の生活に関するものだった。そこから見えてくるのは、江戸の庶民が自立的で公共的なものを尊重し、自ら支えようとする姿だった。

2. 世界一の教育と消防
 江戸時代の庶民の教育を支えていたのは寺子屋だ。当時の(嘉永年間1850年頃)の識字率は70~86%で世界最高水準であった。フランスではフランス革命後、大衆の自由と平等を掲げ、初等教育を義務教育化し、授業料を無償化したが、就学率はわずかに1.4%であったことと比べても驚異的な数字であることがわかる。江戸幕府は武士に対する教育制度は作っていたものの庶民については義務教育制度どころか、学校制度に関する法規がなかったが、他方で庶民の活動に口出しをしなかった。
 寺子屋の開業は自由で、師匠に資格制度はない。師匠のなり手は、武士、町人、書画家など、本業が別にある者が多く、寺子屋の仕事はボランティアであった。生徒から謝金をもらうこともあったがごく薄謝であったという。
 女子専門の寺子屋もあったが、当時、女子の就学率も高かった。農村にも寺子屋があったが、年貢をごまかされないために読み書きを学ぼうとしたようだ。つまり、男女、身分の差別なく、多くの人々が学んでいたのだ。
 寺子屋を選ぶのは親で自由に選べた。その結果、評判の高い寺子屋が残り、人気のないところは淘汰されていった。まさに、フリーアクセス、フリーマーケット(金銭の授受はないが、市場的な競争原理が働くという意味)ではないか。しかも、それを町民や農民が支えあうことで維持されていたのだ。

 ドラッカーは、日本の火消しは、世界初の消防団(ロンドン)よりも1世紀も前に創設されていたと指摘する。江戸時代の消防活動は、消火というよりも、まず飛び火を防ぐことが第一で、隣家を破壊することが求められた。そのため火消しを行うには、大工やとび職の知識や技術が求められる。江戸の町民は、こうした専門性の高い火消しの必要性を感じ、町内会費を集めて、火消しを雇うようになる。しかし、その額は薄謝で、ももひきやすててこ、はっぴなどが支給される程度で、仕事の危険度や技術の高さに見合う対価では決してなかった。火消しはまさに専門職ボランティアだったのである。
 それでも、火消しは「江戸の花」といわれる人気の職業だった。彼らは、消火活動の他、土木工事や町内の警備活動などを担っていた。火消したちが、3Kともいうべき仕事を喜んで担っていたのは、町の治安に役立っているという自負があることと、何よりも町の人々が、カッコいいと火消しを称賛していたからだろう。感謝の記だったのだろうか、火消しが来ると床屋や風呂屋は料金を取らなかったという。
 火消し人足数は1万人ほどとなり、町単位で火消し団が組まれ、必要に応じて助っ人に向かった。火消し組のネットワークができ消火活動をシステマティックに支える仕組みも作られていった。

 寺子屋や火消し活動は一例で、他にも公共的な財やサービスを町民で支えていた事例は数多ある。今となっては驚異的である。私たちがそのように感じるのは、教育や治安は行政が行うのが当たり前と思っているからだ。実際、これだけの教育成果(識字率86%)を上げるために、どれだけの教育予算を投じなければならないのだろうか。だが、江戸時代は公費を使わずに、町民の力で、非金銭的にそれを築いていたのだ。しかも、誰もがボランティア活動などと意識していない。日常生活の一部としてごく自然にそれを担っていたのだ。
 ドラッカーは晩年の著書の中でNPOの重要性について度々触れている。だが、日本人に伝えたかったのは、NPO法人を数多く設立するというよりも、江戸時代のような生活の中に自然にビルトインされたボランタリーな行動様式だったのではないだろうか。

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