ブログ

ドラッカーと現代ナチス論 ~21世紀と20世紀の大きな境目~

2015年09月01日

 夏休みも最終日。ようやく論文を投稿したところだ。この春から夏はドラッカーとナチスの本に囲まれて過ごした。知人に「随分暗い夏休みだね」と言われた。たしかに気が滅入る本が多いが、一度はじめると止めることのできない迫力がある。そして、この論文を記したのには訳がある。3年前にナチス論の第一人者に「驚いたな。ドラッカーのナチス分析は21世紀の潮流と同じだ」と言われたからだ。

1. ドラッカーのナチス論
 ドラッカーのナチス分析は1939年に『経済人の終わり』としてまとめられた。ユダヤ人の彼が戦時中に本著を記すということはかなりの危険をおかしてのことだ。
 そして現代ナチス論と比較するとドラッカーの分析にはユニークなところがある。氏は当時のナチス論一般をことごとく否定する。例えば、プロパガンダ説に基づけば、ドイツ国民が無知で毒されやすいので彼らの自由を認めないということになり、プロパガンダを正当化することになる、と独特のレトリックで論破している。
 また、一般にナチスは「民族共同体」と「同質化」をスローガンに掲げた全体主義を築こうとしたと説明される。しかし、ドラッカーはナチスは「包摂と排除の非経済的社会秩序」を築こうとしたと説明する。つまり、資本主義でもマルクス主義でもない新たなものとして非経済的社会秩序を生み出そうとした。そのためあらゆる経済活動を軍事体制下におくことで、産業社会の形態を維持しようとしたと説明する。
 そして経済的にめぐまれない人々の不平等感を補うために、金持ちしか味わうことのできなかった観光、観劇、ドライブなどを非経済的に政府が与えた。他方で、学者、芸術家、弁護士などの自由業を抑圧した。ナチスが描こうとした非経済的社会秩序のほかに、自由な非経済的領域があることは、自らの主張を脅かすことになるために弾圧したというのだ。そして、ユダヤ人を資本主義の象徴して敵視し、徹底的に排除した。
 国民を満足させるための諸サービスが「包摂」であるとすれば、ユダヤ人や自由業の弾圧は「排除」である。この双方を操りながら、一体感をつくり非経済的社会秩序を構築しようとしたというのがドラッカーの解釈である。

 だが、氏の分析で最も迫力があるのは、なぜドイツ国民がナチスに傾倒したのかという点だ。そこには4つのキイワードがある。まず「安定」だ。当時、大量の失業者があふれていた。ドラッカーはこのような人々は経済的な糧を失っただけではなく、社会との繋がりを失っており、こうした人々には社会は半分しか見えず、半分しか見えない社会は恐怖でしかないと述べている。そして、人々は安定のためには自由を犠牲にしてもよいと思った。
 次のキイワードは「無関心の罪」だ。ドラッカーはナチスの政策が矛盾を抱えた稚拙なものであったことは、知識人であったらすぐにわかったと述べている。しかし、自らに火の粉がかからぬよう、見て見ぬふりをして政治行動から退いていった。そしてこの罪こそ、20世紀最大の罪であると述べている。
 残りのキイワードが「与えられた民主主義」と「獲得した民主主義」である。その違いは、フランスや北欧のように市民が闘って自由と民主主義を勝ち取った経験のある国と、手続き論として民主主義を用いたドイツの違いである。そしれそれは、自由への愛着の違いとなって表れた。
 
2. 世界史上の大問題とされたナチス研究
 なぜドラッカーの分析が21世紀の現代ナチス研究と同じだと驚かれたのか。それは20世紀と21世紀の研究の間に大きな断絶があるからだ。ナチス研究は戦前から現代まで途切れることなく続けられ、その論文や記事数は120万部にも及ぶ。こうした連続した蓄積がある中で、ある著が大きな波紋を起こした。それがダニエル・ゴールドハーゲンの『普通のドイツ人とホロコースト』だ。それは、反ユダヤ主義と残忍な行為はドイツの一般国民が鼓舞され、担っていたものだと主張するもので1996年に出版されると、世界史上の大問題と指摘された。しかし、それ以降、ジェラトリーの『ヒトラーを支持したドイツ国民』など同様のテーマの論文や書籍が発表されるようになる。
 無論、それ以前の研究にも変化や流れがある。戦前、戦後ではヒトラー個人に焦点をあてた研究が多かったが、70年代になるとヒトラーではなく部下のヒムラーの主体的行為であるという「修正説」も出た。その後、ヒトラーやヒムラーだけを罪人扱いするようなホロコースト観を再考する動きが出てきた。そうでなければ歴史的に類をみない大規模虐殺に至る経緯を説明できないという主張だ。そして、ナチス体制の官僚制とそのメカニズムに焦点をあてた分析が登場した。このように、ナチス研究の焦点は、ヒトラー個人の特異性から、周辺幹部へ、そしてナチス官僚体制へと変化している。だが、いずれもナチス側に焦点をあてた分析だ。
 96年のゴールドハーゲンの著書が世界史上の大問題として指摘されたのは、彼がナチス側ではなく、ドイツ国民に目を向けたからだ。
 
3. 市民側に向けた分析はなぜ敬遠されるのか
 では、なぜ市民側に目を向けた研究が21世紀になるまで登場しなかったのか。それは、ゲシュタポ(秘密国家警察)が収集した情報や全国紙、地方紙、雑誌、ラジオなどナチスが発行した大衆向けメディア情報は、ナチスのバイアスが入っているとして、史料としては役立つまいと過小評価されてきたからだ。
 しかし、それだけが理由ではないだろう。ジェラトリーは表現をぼかしながら冷戦時の配慮があったかもしれないと述べている。例えば、「ユダヤ人虐殺はナチスの罪であって、国民の問題ではない」という政府見解は、同国のみならず周辺国にとっても都合のよいものではないか。それは、過去は過去のこととして、今の経済・社会交流を積極的に進める理由になる。
そして、同じような説明はドイツに限らず、日本を含む他国においても見られたことではないだろうか。

 だが、ドイツ市民に目を向けた21世紀のナチス研究は、確実に大きな転換点を与えた。ナチスに目を向けている限り、ヒトラーやナチス体制の特異性に焦点があてられ、特異なこととして片づけられてしまう可能性がある。ところが、ドイツの一般市民に目を向けたとたん、他国の「普通」の市民との接点や共通点が見出されやすくなり普遍的なものへと大きく近づくことになる。
 戦時中に記されたドラッカーの著書が「21世紀の研究と同じだ」と驚かれたのは、ドラッカーが最初からドイツ市民に焦点をあてた分析をしていたからである。それは紛れもなくドラッカー自身の日常の市民生活の体験からくるものだった。

ページTOPへ▲