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ナチス台頭と「無関心の罪」

2013年02月22日

「20年ぶりの出会い」
2012年正月、20年来書棚の奥に仕舞い込んでいた本をふと手に取った。P.F.ドラッカー著『傍観者の時代』である。長い間、棚に置かれたままだったのは、傍観者というタイトルが、何か無関心を髣髴させるようで好きになれなかったからである。だが、頁を開くと私が知らなかったドラッカー氏の姿がいきいきと描かれており、タイトルの印象とは真逆だった。
 私がドラッカー氏に出会ったのは1991年で、同氏に非営利組織について語ってもらうために、日本招聘を企画したのが契機だった。以後、亡くなるまで、非営利組織について学び、転職や進学など私事について助言を頂くという貴重な機会を頂いた。ドラッカー氏の頭脳明晰で合理的な行動と同時に茶目っ気のある人柄に接する機会があっただけに、同著に描かれた、憤りに満ちた青年ドラッカーの姿は意外だった。しかし、そこに同氏の原点のようなものを見出すことができる。

「青年ドラッカーとナチス」
 ドラッカー氏は1909年、ユダヤ系オーストリア人としてウィーンに生まれ、青年期を欧州で過ごした。しかし、ナチスが台頭すると追われるようにして米国に移住し、やがて近代経営学という新たな分野を開拓した。
 本著には、経営学者になる前のドラッカーが記されている。すなわち、第一次世界大戦、第二次世界大戦前後の時代を背景に、同氏が出会った人物を中心に記しながら自身の青年期が描かれている。そこに登場するのは、祖母、フロイトやポランニなどの世界的な学者、タイムライフ社や米国大手企業の経営者、そしてナチス党員まで多様な人物である。これらの人物と青年ドラッカーのやりとりが、あたかも第三者の観察記のように記されていることから「傍観者」というタイトルがつけられたのだろう。

 そしてこの本のトーンは、同氏の経営論や社会論にあるような強靭で冷静なトーンとは明らかに異なるもので、ナチスへの憤りと自由社会への願望が迫力をもって記されている。決して「傍観者」の著ではないのだ。中でも「怪物と子羊」というタイトルの章には、同氏がドイツを去ろうと決心した時のことや感情が素直に描かれ、鬼気迫るものがある。
 そこには、ナチス幹部であった二人の人物が登場するが、いずれも編集の仕事を通じて知り合った人々だ。一人はヘンシュというナチス親衛隊幹部で、ユダヤ人絶滅運動、反ナチス抵抗運動の粉砕の指揮をとり、残忍、悪逆を極めたことから「怪物」と呼ばれた人物である。彼は、ドイツに残って編集の仕事を続けることを遺留するためにドラッカー宅を訪れた。二人はナチスを巡って口論になる。ヘンシュは、親の身分の低さや自らの力の限界故に、今の社会では出世できないが、ナチス党員であれば地位を与えてくれると、逆上する。ドラッカーは、その時、血なまぐさい獣じみたものを感じたと述べているが、この感情が動機となり、最初の本格的な著書で、ナチスを批判的に分析した『経済人の終焉』を生むことになった。
 もう一人は、シェイファーという鋭敏な政治記者である。彼は、ナチスが「世間知らずの文盲の徒」であるので、ナチス広報部に入り内部から矯正すると意気込んだ。シェイファーは鳴物入りでナチスに迎えられ、ユダヤ人虐待行為はごく稀な出来事であり、ナチスは反ユダヤ主義ではないと、記事を書き続けた。しかし、2年後、ナチスにとって利用価値がなくなると、シェイファーは跡形もなく消え去った。

 こうした生々しい叙述にも増して、私の印象に残ったのは、フランクフルト大学に関する記述だった。当時、ドイツでは大学の講師以上の職位を得ると、自動的にドイツ市民権が付与されることになっていた。ドラッカーは若干21歳にして、同大法学部の講師になった。しかし、間もなくヒトラーが政権を掌握し、ナチス主導下の教員会議が開催された。フランクフルト大は当時もっともリベラルな大学として知られていたが、ナチスはこの大学を牛耳ろうとしたのである。
 新任のナチ・コミサールは、ユダヤ人教員の構内立ち入りを禁止し、人種的に純粋な学問に多額の予算をつけると述べた。当時もっともリベラルな発言をしていたのが生化学・生理学者であり、同僚たちはこの命令に対して反論をすることを期待した。しかし、彼らの質問は、生理学研究費を増やしてもらえるのかという1点だった。会議は終わると、教員たちは、昨日まで同僚だったユダヤ人教員から距離を置いて、退出していった。この瞬間、ドラッカーは「死ぬほど胸がむかつき」48時間以内にドイツを出ようと決心したと述べている。
 章の締めくくりで、20世紀の最大の罪は、ヘンシュの犯した権力欲の罪とシェイファーの自己過信の罪ではなく、フランクフルト大学の教員、生化学・生理学者たちの「無関心の罪」であると述べている。

「自由と自立の思想」
 本著の基調にあるのは、自由な社会への願望とそこで生きる自立した人間への畏敬の念である。実は、この自由と自立の思想こそが、ドラッカーの経営論、社会論に一貫して流れる基調である。一人一人の人間が役割を持ち、責任をもつことのできる組織とは何かという問いかけをもとに、ドラッカーの経営論は構築されている。だからこそ、同氏の経営論は企業のみならず、行政や非営利関係者からも愛読される。
 しかし、今、私たち、日本人が最も学ばねばならないのは、先の「無関心の罪」の重さではないだろうか。ナチスのユダヤ人迫害や第二次大戦の悲劇は、当時の経済社会など複雑な要因に起因するものである。しかし、それを最終的に選択したのは当時の有権者であり市民である。その無関心さが悲劇を生んだのだ。
 今、巷では、強力なリーダー待望論が浮上している。有権者は政治家に白紙委任することも必要だという記事が、昨年の主要新聞の一面を飾った。しかし、有権者自身が社会的課題策としての政策を選択し、責任をとることを放棄して、リーダーに委ねてしまうことの恐ろしさをもっと真剣に受け止めるべきだ。「無関心の罪」を再び犯してはならないからだ。ドラッカーが生きていたら、私たちにこう言うだろう。誰かに責任を委ね、無関心を装うことは、結局、自らの自由と自立を失うことなのだと。
 昨年末に出した拙著「ドラッカー 2020年の日本人への「預言」」(集英社)にはこうした想いが込められている。

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