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パブリック・ディプロマシー ~言論NPOの定義~

2013年06月08日

1. クールジャパンがパブリック・ディプロマシーなのか 
 パブリック・ディプロマシーとは、政府高官などの公式ルートではなく、民間が主体になり、広報や文化交流を通じて、外国の国民や世論に働きかける行為をいう。世界平和研究所によれば、「自国のもつソフトパワーを活用して、国際世論に影響を与え自らに有利な国際環境を形成することである。最近では、日本でも安倍政権が「対外発信の強化」という言葉でその重要性を強調したが、対外発信もパブリック・ディプロマシーの構成要素である。」と説明されている。
 ならば、安倍政権のもとで、経済産業省が中心になって推進している「クールジャパン」で行われている、芸能や大衆文化の対外発信が我が国の代表的なパブリック・ディプロマシーのひとつということになる。
 何かしっくりとこない。私が担当する東大の講義(公共政策大学院 市民社会組織論・政策論)で、言論NPO代表の工藤泰志氏に講演してもらったが、その内容は、先の疑問に正面から応えるものだった。

2. 実践から獲得したもの ~米国外交問題評議会 世界シンクタンク会議~
 言論NPOは、日中、日韓間で、互いの国の世論調査をベースに、政治家、識者が両国間の国民感情、歴史認識問題、政治経済、安全保障まで、まさに”ど真ん中”のアジェンダを本音で議論することを目的にフォーラムを開催してきた。日中フォーラムはすでに9年目を迎えるが、最近では世論調査結果はNHKなどが特集を組んで紹介するほどよく知られるようになった。

 昨年3月、ワシントンの外交問題評議会から工藤氏あてに一通の招待状が届いた。外交問題評議会(Council on Foreign Relations)は、外交専門誌フォーリンアフェアーズで有名な、世界的なシンクタンクである。この評議会が、G20に対抗する民間シンクタンクのネットワークを構築しようと、世界19か国のシンクタンクに呼びかけたのである。チャタムハウスなど、そうそうたるシンクタンクが名を連ねている。その中で、日本からはたったひとつ、小さなNPOである、言論NPOの工藤氏が創設メンバーとして選ばれたのである。私も言論NPOの理事だが、当初、「嘘でしょ?」と半信半疑だった。しかし、同評議会は数年をかけて念入りに言論NPOの動向をチェックした上で、決定したのである。その理由は、言論NPOが、民主主義や市民社会について、中立、独立の立場から議論形成しているシンクタンクであるという点だった。

 工藤氏は、これまで二か国間の議論形成は行ってきたが、こうした多国間の議論の場は初めての経験だった。しかし、そのことが、これまでの日中フォーラムの持つ意味、そしてパブリック・ディプロマシーの意味を自ら再定義する重要な機会になっている。
 グローバル・ガバナンスがきわめて不安定であるということを肌身で感じたという。中国、インド、ブラジル、南アフリカなどの台頭で、合意形成が一層複雑に困難になっているためだ。グローバル社会の課題は日々変化し、枚挙に暇がない。しかし、政府間の交渉の限界もより顕著になっている。国益を背負っている政府の外交はジレンマを内包しているからだ。
 このような中で、注目されているのが「マルチ・ステイクホルダー・アプローチ」であるという。つまり、当該課題にかかわりのある人々が官民を問わず、参加し、課題解決に向けて合意を形成してゆくというものだ。マルチ・ステイクホルダー・アプローチは、日本においてもまったく新しい概念ではなく、内閣府などを中心に議論されてきた。ただ、マルチ・ステイクホルダー・アプローチそのものが目的になっているように見えて、気になっていた。
 この点について、工藤氏の説明は明確だった。あくまでも課題解決が目的であるとうい点である。その手段として、当アプローチを用いるということだ。

 しかし、このアプローチについては本質的な疑問が残る。仮に、このアプローチによって、国際的な合意が誕生したとすれば、その正当性はどこにあるのか。さらにいえば、議論に加わった人々や団体の正当性はどこにあるのか。
 工藤氏は、だからこそ、議論に加わる者は、世論形成とリンクすることが不可欠なのだと述べる。世論の支持こそが正当性の根拠になるということだろうか。だが、その世論も質の高いものでなければならないという。
 では、だれが国際的な課題解決の議論に参加するのか。そこには政府、企業だけでなく、民間非営利組織の参加が想定されるが、中立、独立性を謳う非営利組織の役割は大きい。工藤氏は、日本の非営利セクターは、こうした流れに沿っておらず、政治との適正な距離感を持てていないのではないかと指摘する。
 
 工藤氏のパブリック・ディプロマシー論に説得力があるのは、自らが実践者であり、10年余を経て、成果が見えてきているからだけではない。日本の文化や大衆芸能の発信を以って、パブリック・ディプロマシーというのでは、あまりにもさびしい。そうではなく、国際社会の課題解決のあり方について、率先して、意見を述べ、合意形成し、その実現に向けてコミットするものなのだという、工藤氏の持論には重みがある。

3. ワシントン会議で突きつけられた日本市民への疑問
 しかし、日本において、民間が主体になり、質の高い世論形成とリンクさせながら、国際社会の課題解決に取り組むことができるのだろうか。そのような疑問に応えるように、工藤氏は、ワシントンでのあるエピソードを披露した。
 外交問題評議会主催で、日本、仏、ソ連のシンクタンクによるクローズのパネル討論が行われた。工藤氏が、司会者から紹介された時、「あなたは日本は、ワシントンから忘れられていると思いますか。」と問われたのだという。工藤氏は「では、同盟国である米国は、政権交代後、日本の首相が一度も訪米していないことをどう思うのか?」と切り返したという(2012年3月当時)。すると、会場からいくつも手が挙がった。つい最近まで沖縄に赴任していたという、連邦政府の女性は、「そんな日米関係にしたのは、いったい誰なですか?」と質問した。工藤氏は、直観的に、そこで日本の政治家のせいにしたら、二度と公の舞台で相手にされないだろうと思ったという。彼女の真意は、「そのような政治を選んだのは、日本の有権者ではないか」というものだったからだ。
 工藤氏は、これが国際社会での常識であるという。まずは、有権者の当事者意識から始まるのだ。そして、言論NPOの起点はここにある。発足当時、そんなこと日本では無理ではないかと、半信半疑だったが、その歩みから確実な成果を見てとることができる。そして、何よりも、学生たちがかたずをのんで、聞き入っている様子に頼もしさと可能性を感じた。

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