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人材問題とドラッカー ~経済同友会勉強会~

2013年09月06日

経済同友会 産業懇談会第1木曜グループで講演をさせていただいた。テーマは『ドラッカー2020年の日本人への「預言」』で、昨年、出版した拙著をベースに話をさせていただいた。これまでで最多の参加者だったそうだが、議論のセッションでは、ドラッカーのことというよりも、人材に関するものに集中した。

1. ドラッカー論の誤解
 まず、日本や米国でよくみられるドラッカー論の誤解を提起することから始めた。「ドラッカーが経営学に目覚めたのはGM社の調査が契機である。」「ドラッカーがNPOを力説していたのはエンロン事件で企業に幻滅したからだ。」いずれもDVDなどで紹介されていることだが、明らかに誤りである。企業経営に強い興味をいだき調査をしようと決意したのは、ドラッカーが1942年に出版した『産業人の未来』を執筆している時からだった。ドラッカーがNPOの重要性を説いていたのもその頃である。
 どうしてこのような誤解が生まれるかといえば、ドラッカーが渡米する前の時代の思想や著書をねぐって理解しようとするからである。しかし、なぜドラッカーが経営学に、また、NPOに関心を持ったのかの真の理由を探ることこそ、氏の思想の原点を探ることに他ならない。

2. ドラッカーの思想の原点とめざすべき社会像
 氏がめざした社会とは「一人ひとりが位置と役割をもつ自由社会」である。それは、第二次世界大戦中の1942年に著書の中で提起したもので、ナチスが破れ、大戦が終わったことを前提に次の時代の社会を描く中から生まれたものだ。それは、人間は不完全なものでしかありえないという前提のもとに、過去や歴史の教訓を参考にしながら、社会課題を解決し未来を志向する。こうした社会を実現するための条件として、・人々の自由と責任を担保する政府、・人々による自治、そして、政府権力に対抗する存在としての企業セクターの存在をあげた。なぜならば、第二次世界大戦後の社会は、間違いなく企業を中心とした社会になるとドラッカーは確信していたからだ。
 だが、その企業は、経済的な役割と同時にコミュニティの役割を果たさねばならないとした。なぜならば、権力をもつ存在はそれを社会的課題の解決のために行使しなければならないこと、そして、既にこの時代からみえつつあった地縁共同代などの崩壊に対し、新たなコミュニティの役割を企業に求めからだ。氏の言うコミュニティの役割とは、そこで働き、生活する個々の人々に、自らが社会とつながり、社会のために生かされていると感じるような機会と人間関係を提供することである。
 そして、ドラッカーはそのように提言したからには、企業がこのような役割を果たすためには具体的にどのように運営したらよいのかと模索しはじめていた。それが、経営学に関心をもった真の理由である。

 この話をした時、周囲から深いため息が聞こえてきた。「今日、私が最も伝えたいことが、伝わったな」と感じた瞬間だった。

 そして、結語では、現代の知識社会について言及し、高学歴世代の働き手、すなわち知識ワーカーには、転職志向があり、なおかつ拝金主義が陰りをみせていること、そして彼らが求めるコミュニティの役割をNPOが果たすこと、だからドラッカーはNPOに期待を寄せたと述べた。

3. 人材問題に集中したQ&A
 Q&Aセッションでは、熱心でかつ鋭い質問をいくつもいただいたが、その殆どが人材に関するものであったのが印象的だった。ひきこもりなどの若者の増加をどう評価するのかという質問があった。その質問には、ドラッカーの知識ワーカーは理想論で、一部のエリート層のことのみをさしているのではないかという無言の反論が含まれていた。しかし、ドラッカーは、根っこのところでは同じであると考えていたのではないか。それを裏付けるように、ドラッカーは、オウム真理教の幹部がエリート若者層であったことと、同年の阪神・淡路大震災のボランティアについて言及し、人々が「位置と役割を求める」エネルギーはプラスにも、マイナスにも大きく振れると述べている。
 また、大学の役割に対する質問もあった。経済同友会など産業界は戦後まもなくから、人材育成について強い関心を持ち、250以上の提言書を出している。そのうちの6割は2000年以降に出されたものだ。だが、産業界と大学の間のギャップはますます深まっているようにみえる。そのギャップの中核にあるのが、社会人基礎力の問題である。だが、社会人基礎力は、真に大学が養成するものなのか。さらにいえば、人材育成は本来、大学のみに任せるのではなく、生涯続けられるものであるのなら、企業も地域社会も責任を共有する必要があるのではないか。そんな回答をした。昨今の企業の事情を考えれば、反論がくることを承知で。しかし、この意見に賛意を示したのは、意外にもファイナンス分野の企業関係者だった。

 職業がら、大学やNPO関係者との会話は多くても、企業関係者とのそれはあまり多くなかった。しかし、雑誌や新聞、そして過去の自分のイメージとは明らかに違うもの、変化を感じた。おそらく、企業側もこちら側の変化を感じているのではないか。今こそ、異分野間でオブリゲーションのない場で、自由に議論する場が効果を奏する時ではないか。

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