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人生の達人が太鼓判を押す21世紀のトレンド 

2014年02月04日

1. 銀座「グレ」からの転身
銀座の老舗クラブ「グレ」をご存じだろうか。私自身は、訪れたことも、見たことも一度もないが、著名な財界人、政治家らがこぞって訪れる老舗中の老舗のクラブなのだそうだ。
その創設者が、光安久美子さんだ。光安さんとの出会いは2011年1月に開催された、残間里江子さん主催のイベントであった。イベントのテーマは社会貢献活動。会場には大勢の中高年の男女で埋め尽くされていたが、そのひとりが光安さんだった。残間さんが、会場の光安さんを見つけると、「光安さんは、大変有名な銀座のクラブのママであり、実業家でしたが、これからは一切辞め、フィリピンのストリートチルドレンのための活動に従事するそうです」と紹介したのだ。翌年、やはり残間さんが主催するパーティーで、光安さんをお見かけしたが、彼女のところに次から次へと男性陣が挨拶をしており、ただ者ではない雰囲気を醸し出していた。

2. 2年ぶりの再会
 その2年後、ひょんなことから、光安さんと食事をする機会があった。私が理事を務める言論NPOの同じく理事の蓑田氏が、食事会の場をセットしてくださったからだ。きっと私のことなど覚えていないだろうと思っていたのだが、しっかり覚えてくださっていた。
 フィリピンでの活動について尋ねると、ストリートチルドレンたちを雇用するカフェの支援をするために年に何回も現地を訪れているという。フィリピンでの援助活動は一筋縄ではいかないことが多いが、そうした困難もひょうひょうと語っている。
 また、勉強熱心で、NPOやボランティアなどを調べていたが、雇用を創出することに重きをおく社会的企業が、持続発展性があると感じよいと思ったという。その後、世界の社会企業家を育成することを目的に設立したアショカや、アショカが育成した企業家を紹介した本「チェンジ・メーカー」を読んだ。そして、そこで紹介されている米国の社会企業家にも会いに行き、今も交流を続けている。また、アショカの日本支部創設を耳にすると、自ら雇ってくれと志願したこともあるそうだ。
 光安さんの行動力もすごいが、情報収集と方向性が実に適切であることに驚かされた。大学のNPO論の講座の内容を短時間で要領よくポイントを抑えてしまっているようなところがある。彼女にそれを伝えると、30余年銀座でクラブをやってきたことで養われた勘が効いているのかもしれないとのこと。

3. 21世紀は非営利活動の時代
 30余年も銀座で仕事をしていると、人々の栄枯盛衰、不条理なことを山のように見ることになるという。「嫌になりませんか」と尋ねると、「だから、きっぱりと辞めようと思った」と彼女は答えた。「お酒も、贅沢な料理も、旅行も遊びも好きなことは何でもやった。でも、それだけの人生では満足できない。残りの人生を社会のためや無償の愛のために使いたい。だからフィリピンでの活動を始めた。」と真顔で述べていた。実は、同じ言葉を3年前、初めてお目にかかった時にも聞いているのだが、全くぶれていない。
 そして、これからは、NPOやNGOなどの非営利活動の時代だと力強く語った。それは、ある程度の資産をもった高齢者が確実に増え、しかも趣味や安定した家庭では満足できず、貢献活動を通じた社会との接点を求めている人が確実に増えていることを実感するからだと思う。銀座の店で成功し、多くの人々の栄枯盛衰をみてきた、いわば人生の達人である、彼女の言葉には妙に説得力があった。

 「エクセレントNPO」大賞を紹介すると、すぐさま、寄付金の集め方や金額の設定について提案をしてくださったが、私にはまったくない視点であった。なぜ、あのパーティーで、男性達が次から次へと彼女に挨拶をしていたのかわかったような気がした。

 21世紀は非営利の時代。そのことを力説していたのはドラッカーだった。氏は近代史や先進諸国の動向を踏まえてそれを述べた。光安さんは、その仕事から、何よりも自身の中から湧き上がる実感からそれを述べている。NPOの調査をしていると、その停滞状況や課題ばかりが目についてしまうが、視点をかえてみると確かに非営利の時代に突入しているのかもしれない。
 非営利の時代とは、より多様な人々が、非営利の活動に参入することをも意味する。光安さんのような異業種での経験が豊富でな女性たちが非営利の活動にもっと参加してくれれば活動の展開もよりダイナミックになるように思う。

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