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学習困難児に向かい合う学生と教育の質の意味

2013年10月14日

 教育の質向上のために教員数を増やし、1学級あたりの児童数を低くするという議論は以前より聞かれるものだが、概算要求や予算査定の時期になるとより頻繁に耳にするようになる。しかし、これは数を増やしたからといって質が向上するとは限らない。
昨日、見学した学生による学生教師向け研修は質の問題を改めて考えさせてくれるものだった。

1. Learning for All の学生教師向け研修
 Learning for Allとは、所得格差による教育格差の是正を使命に、学生が創設し、学生によって運営されているNPOで、週末に学習困難児童(小学校、中学校)を対象にした学習塾を中心に運営している。対象地域は墨田区、足立区、葛飾区など、いわゆるコールド地域といわれるエリアで、生活保護世帯の児童が多い。こうした地域では、IQ60-80の境界領域といわれる知能指数の子供が増加傾向にある。知能的には問題はないものの、普通学級での授業に容易についてゆけないとされる知能指数なのだそうだ。こうした状況に陥った背景には、幼児の頃に両親のケアが少なく、大人との会話が少なかったことが挙げられる。その意味では、生まれつきの問題というよりは、しかるべき時期にそのポテンシャルを引き出してもらえなかったことに起因する。そうであるならば、眠っているポテンシャルを引き出すことは可能ではないか。
LFAは、子供たちの学力向上のみならず、子供たちのポテンシャルをも引き出すことを目的に活動を行っている。しかし、そのような難題を素人の大学生たちがどう克服しうるものか。

2. 見ているものを全く飽きさせない研修
 教師になる大学生向けの研修を見学させてもらった。研修は、授業開始前、中間、研修後のタイミングで行われる。授業開始の2日で20時間の講義を行い、子供たちの置かれている社会的背景と教授法、最初の授業の翌日に10時間、中間時期にあたる1.5か月後に10時間、最終授業の翌日に10時間の合計50時間の講義から構成されている。
 見学したのは、授業開始前の2日目の研修だ。1時間程のつもりであったが、気づくと4時間近くがあっという間に立っていた。
 講義の内容は次のようなものだ。まず人間のインテリジェンスには、論理的なもののほかにも、音楽的なもの、自然を体感するものなど、多様な種類があることを学ぶ。
 次に、人間の物事の理解の仕方の違いについて学ぶ。そして現代の教育は、ある一定のタイプの理解の仕方に適しており、それ以外の子供にとっては困難であることを知る。そして、自分たちにも記憶の限界があることやコツを覚えると記憶力がアップすることなどを体感する。 
 その後、子供たちが算数や英語をなぜ理解できなくなるのか、実例を用いて、その理由を構造的に理解する。(構造化されたものをみると、理解できなかったとされる子供には子供のロジックがあることがわかり、う~んと唸ってしまった。)
 これらの講義は短く区切られており、一方的な講義の時間は殆どない。質問をして発言を求めるだけではなく、時には体を使うことも求められる。講義開始前後に「規律、礼」をする。これでは、学生は寝ている暇もない。見学している側もめまぐるしく入れ替わるカリキュラムとテンポの速さに目が点になっていた。
 最後に、ロール・プレイニングが行われる。スタッフといわれる先輩の大学生が子供の役になり、学生相手に色々な難題を投げかける。子供を指導した経験に基づくものなので、とてもリアルだ。ロールプレイが最後に設けられているのは、2日間の研修だけでは、教師としての技量は身についていないことを学生自身に悟らせるためのもので、そうすることで研修を続けることのモチベーションを維持させようとしている。
 学生たちは全てボランティアの教師であるが、参加するためには、50時間の研修と3か月間の子供への学習指導を休まないことを遵守することが求められる。なかなか厳しい条件だがドロップアウトがいないのは、スタッフや仲間が手厚いサポートをしているからだろう。

3. LFAの成果とソリューションの多様性
 LFAの学習塾は、3か月を1クールとして週末に開催される。子供たちは1回3時間の授業を受ける。教師となった大学生は3人の生徒を受け持つが、特に困難な子供の場合には1対1で教える。また、教師の大学生の周囲にスタッフが複数つきサポートしている。
 学生の出身大学は10大学程で、当初は六大学が多かったが、徐々に広がっているという。学生たちのモチベーションと集中力の高さに驚かさたが、中には私が教えた学生もおり、教室の顔とは違う顔を見たような気がした。LFAのスタッフによれば、LFAで教師をつとめた学生は、就職先でも活躍しているようで、課題解決力や処理能力が高く評価されているという。

 では、肝心の子供たちへの学習指導の成果はどのようなものか。年間200人の子供たちを指導している。高校進学をあきらめていた子供の多くが見事に進学を果たしている。10分としてじっとしていられなかった子供が、3時間、休みなく指導を受けるようになった。高熱を出しながらも、どうしても授業に来たいと、ニンニク注射を打って来た生徒もいたという。年間予算1000万円で、学生によるボランティア教師が50名が稼働し、200人の子供たちがここまで変われるとすれば、大変なコストパフォーマンスではないだろうか。
 教師となった大学生は、ビジョン実現シートというものを記すことになっている。これは、自分の将来ではなく、担当する子供たちのビジョンに関するもので、子供たちが塾の終了後にどのようになっていってほしいか、そして15年後にどうなってほしいのか、そのためにはどのような課題を克服しなければならないのかを記す。A4のシートにはびっしりと記入されていた。それは、世代から次世代につなぐメッセージのリレーのように見えた。

 学級崩壊や落ちこぼれ児童の問題は教師数を増やすことのみでは解決できないのは自明である。教育の質を上げることの意味を具体化せずに、数を増やしても展望が見えてこない。さらに言えば、教室内の問題を超えた子供たちの問題を教師に担わせることに限界があるのではないのか。
 やる気のある大学生が、その下の世代の難題を抱えた子供を教える。LFAは、世代と所得の格差を超えた交流による教育の一例だ。教育政策は、今後も学校を軸に策定されることになるだろうが、子供たちが抱える課題の解決という発想から捉え直すと、既存の学校制度以外のソリューションも豊富にしてゆかねばならないのではないか。

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