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岐路に立つ日本の市民と政治-東日本大震災後を経て日本の市民は変わったのか-その1

2013年03月11日

1. イントロダクション
 2011年3月11日の東日本大震災を経て、日本の市民は変化したのだろうか。そして、市民と政治の関係に何らかの変化が起きたのだろうか。こうした問いかけの背景には、「日本全土を揺るがすような災害を経験したからには、不屈の精神が養われ日本の市民社会はきっと強くなったに違いない。そして、その変化を受け政治の姿勢にも変化が生じたに違いない」という仮説がある。こうしたオプティミスティックな仮説が抱かれるのは、1995年に起こった阪神淡路大震災の時の記憶があるからだ。同震災では、被災後1か月で100万人以上のボランティアが被災地に訪れ、日本中を驚かせた。それが契機になり国会ではNPO法が制定されている。

  東日本大震災では95年の阪神・淡路大震災を遥かに超える寄付が集まり、2年以上経た現在も被災地でボランティア活動が続けられている。毎週金曜日の夕方には首相官邸前で脱原発デモが行われている。
 しかしながら、こうした市民の活動に対して政治の反応は鈍い。というよりも、震災以前より消極的になったようにみえる。なぜならば、2012年12月に行われた衆議院選挙において主要政党が出した政権公約からNPO関連の公約が姿を消してしまったからだ。
 そうであれば、先の仮説を問い直さねばならない。そもそも日本の市民社会は変化しているのだろうか。仮に変化があるとすれば、政治はその変化に気づいているのか。そして、政治が変化に気づいているとすれば、なぜ、反応は鈍いのだろうか。
 本論では、こうした問いかけに基づき、東日本大震災前後の市民の動向、それに対する動向をレビューし、日本の市民と政治について考察する。

2. 東日本大震災を経て市民社会は変化したのか
 まず、東日本大震災における民間支援の動向について述べ、次に、震災に関連した行動指標をもとに日本人総体の変化についてみる。

2.1 東日本大震災における民間支援の動向
①寄付
政府の家計調査データをみると、日本人個人寄付総額は、2011年6月末現在で、前年総額3800億円を大幅に超えている。この数字には東日本大震災関連の寄付以外の寄付も含まれているが、前年から大きく寄付額が伸びていることから、東日本大震災関連の寄付の影響の大きさを窺うことができる。

 では、東日本大震災の支援目的の寄付はどのような状況だったのか。我が国における災害時の寄付は大きく2種類に区分される。ひとつは義援金で、もうひとつは支援金と呼ばれるものである。義援金とは、被災者にお見舞金として直接配分される寄付で、2012年5月末までの義援金の総額は3,168億円だった。1995年の阪神淡路大震災の義援金総額は1,791億円であることからも、その額が大きく伸びていることがわかる。
 他方、支援金とは、被災地での救援活動に従事するNPOやNGO、自治体などの団体への寄付をさす。主要NPO・NGOの受取寄付額は201億円、自治体の受取金額は被災7県で1,892億円(2012年2月末)である。なお、これらの金額については、95年NPO法が存在していなかったことや被災県が多いため比較はできない。

②ボランティア
社会福祉協議会によると、岩手県(24か所)、宮城県(12か所)、福島県(28か所)に設置された災害ボランティアセンターの紹介でボランティア活動を行った延べ人数は2012年5月時点で102万人である。この数字には、同センターを介せずボランティアを行った者、被災地外で物資支援の梱包・配送、被災地外の避難者の支援などに従事したボランティアは含まれていないので、ボランティアの総数はより多いと推測される。
しかしながら、1995年の阪神・淡路大震災の時に大勢のボランティアが集まり、社会の注目を浴びた時ほどの勢いはなかった。阪神・淡路大震災の被災地に集まったボランティア数は1年間で137万人であり、被災後1か月内に集まったボランティア数は100万人と推計されている。他方で、東日本大震災のボランティア数は出足が悪く、その後、緩やかに増加傾向を示したが、2011年5月の大型連休前後から、ボランティアが減少し、夏休みの時期に増加が期待されたもののさほど伸びなかった。
しかしながら、被災から2年経た現在も各地でボランティア活動が続けられており、しかもリピーターが多い。これは、東日本大震災のボランティア活動の特徴といってよいだろう。
 
③非営利組織の支援活動
被災地の内外で、様々な非営利組織による支援活動が展開された。たとえば、岩手県のNPO法人 遠野まごころネットは、全国から来るボランティアと支援物資配送基地として有効に機能した。2011年の秋の時点までに、受け入れたボランティア数は延べで4万を超えたといわれているが、遠野市の人口約2万9,000人を遥かに上回るボランティアを受け入れたことになる。
 宮城県仙台市のNPO法人ワンファミリー仙台は、ホームレス支援を専門とするNPO法人であるが、炊き出し器具や備蓄米を有していたことから、被災直後から市内の帰宅困難者や被災者におにぎりを配り始め、4月10日までに2万6,575食を配り、自治体の支援が容易に届かなかった福祉施設・病院等404か所や自宅避難者に対して、2,300種類の物資支援を続けた。
 海外の途上国で救援活動や貧困削減活動に従事しているNGOは、被災直後から現地入りし、その専門知識・技術を活用し、被災地のニーズアセスメントを行い、システマティックに救援活動を行った。
 また、日本生活協同組合連合会によると、募金総額は2011年11月30日時点で22億8,000万円、傘下にある各地域の生協分を含めると34億7,000万円となった。現在は、生協の販路を活用して、被災地の物産販売を支援するなどの復興活動を行っている。
労働組合は、2012年2月までに、連合本部で8億3,586万3,286円の「救援カンパ」を集め(連合組織全体で集約したカンパ金・義捐金等は合計約30億)、被災後半年間で24次にわたり、実数で6,023名、のべ活動人数3万4,549人のボランティアを派遣した。
全国農業協同組合中央会によれば、JAグループ全体で東日本大震災復興再建支援金として約100億円の義援金を寄付し、JAグループ役職員から、3000人以上のボランティアを派遣し、JA施設や組合員の水田、イチゴハウスなどの瓦礫撤去、保管米穀の崩れ修復作業等に従事した。
また、大学も支援活動を行った。日本には758の大学が存在するが、473校の取組が新聞で報道されていることから、過半数の大学が、専門家派遣から学生ボランティア支援まで、何らかの支援活動に従事していたことがわかる。

(2)脱原発デモ
 福島第一原発事故後、大小複数のデモが都心部を中心に行われた。事故直後の2011年4月、東京の高円寺でデモをよびかけたのは、非正規雇用労働者の待遇改善運動に関わっていた30代を中心にした人々だった。この世代には、比較的高学歴にもかかわらず、長引く景気の低迷で正規雇用に付けなかった人々が少なくないが、当初、脱原発デモの牽引役をつとめたのはこの層の人々であった。また、4月のデモに集まった4.5万人の内、かなりの者は初めてデモに参加した者だった。彼らは、ソーシャルメディアを通じて集まり、祝祭のようなデモを行い、適当な時間になると帰宅してゆくという運動スタイルを取っていた。また、彼らの怒りの対象は、原発の危険性や放射能への恐れだけでなく、政府の対応や情報開示のあり方に対するものだった。
 その後、徐々にデモが広がっていった。2011年9月19日には、東京で「さようなら原発5万人集会」が開催され、数万人が東京都心をねり歩いた。この頃から、従来から原発反対運動に行っていた主婦や高齢層も運動に回帰してきた。原水爆禁止日本協議会などが呼びかけたデモでは中高年や組織労働者が集まり、スローガンや労組名などを記した旗やプラカードを掲げて行進した。環境系の団体が呼びかけた集会では、家族連れや若者の姿が目立ち、新旧相まって様々な層がデモに参加した。
 そして、2012年夏より、毎週金曜日の夕方、首相官邸前でデモが行われるようになった。延べ20万人が参加したと言われているが、2013年2月現在も、数は減ったが、続けられている。デモには過激な行動はなく、むしろ明るいムードが漂っている。当初、警戒していた警察も次第に慣れてきたのか、規制も和らいだ。

2.2 日本人総体の変化
 前述の東日本大震災の支援活動に従事したボランティアや非営利組織、脱原発デモは市民の間で生じた変化である。しかし、それが日本の市民社会総体の変化と言い切ってしまうのは早急であろう。そこで、政府の国民統計データを用いて、大震災と関連しそうな行動指標を用いて、震災前後の日本人総体の変化を分析した。

(1)ボランティア行動者率の推移
ボランティア行動者率とは,総務省が5年に1度行っている『社会生活基本調査』の一項目で、10歳以上の調査対象者のうち,1年間に1回以上ボランティアを行ったものの割合のことをさす。2006年度調査結果と震災後の2011年度調査を比較すると、全国平均ではボランティア行動率は変化していない。被災地近辺の3県は若干増加したが、全都道府県のうちの過半数は減少していた。
 
(2)消防団加入率
 震災発生直後に自らの人命を顧みず,被災者の救援にあたった消防団の活動が話題になった。そうした姿に共鳴し、消防団に志願する者が増えたのではないか。そこで、2011年と2012年の全国の消防団加入率を比較した。
 2011年と2012年の各都道府県における消防団加入者割合をみると,震災前後においてほとんど消防団員の割合に変化は見られない。全国的に見ても、被災三県に絞って見た場合でも変化がないことがわかる。

(3)自主防災組織率
 東日本大震災の経験から、市民が「自らの安全は自分たちで守る」という意識が育まれ、行政との協力のもと自主防災組織を積極的に立ち上げるようになると考えることができないだろうか。そこで、都道府県別の自主防災組織率の変化を分析した。自主防災組織活動カバー率とは,各都道府県の全世帯数のうち自主防災組織が活動範囲とする地域に住んでいる世帯の割合のことである。
 2011年と2012年を比較してみると、自主防災組織カバー率も全国平均でみると殆ど変化がない。西日本の一部の県において(香川県,福岡県など)震災後に自主防災組織のカバー率が大幅に向上している様子が見られるが、全国的に見ればその上昇は僅かなものにとどまっている。また,被災三県についてみると、岩手県で震災後にやや伸びが見られるが、他の二県では変化がみられない。

(4)献血率
次に献血率の変化についてみた。東日本大震災のような未曾有の大災害を経験したことによって、怪我や病気に苦しむ人々のために行動する人が増えるのではないか。
 東日本大震災前後の各都道府県別の献血率 について、2011年を2010年を比較してみた。ここでも、全国レベルにおいてほとんど変化していないことがわかる。ただし、約半数の都道府県で僅かではあるが増加傾向を示している。注目すべき点として福島県における献血率が震災前に比べて著しく低下していることである。一部の献血センターが,福島県出身者の献血を拒否したことが報道されているが、こうした偏見に満ちた行為に対して、福島県民が献血を自主的に控えてしまった結果なのかもしれない。その他の被災県(岩手県、宮城県)でも変化はみられなかった。

 以上、東日本大震災に関連すると思われる利他的、共助的な行為を示す4つの指標について、震災前後の変化を都道府県別にみてきたが、総じて変化がみられなかった。
被災地では、確かに延べ100万人のボランティアが支援活動に従事しているが、国民全体のボランティア行動率を押し上げているわけではなく、むしろ、減少傾向さえみられた。したがって、東日本大震災を契機に起こった寄付やボランティアなどの支援活動やデモをもって日本の市民社会全般が変化し、強くなったと言うことは難しいのではないか。

その2に続く。その2では、政治に対する市民の意識の変化について、指標データで比較する。

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