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科学者と社会性 ~どこまで実用性を求めるのか~

2014年10月20日

研究不正の問題とともに科学技術の倫理性や社会性がより一層注目を浴びている。この点を否定する者はいないだろう。しかし、科学者に対して、社会性や社会課題の解決をどこまで具体的に求めるのだろうか。

1. 東芝 事業部門の社会貢献賞 
 (株)東芝は、昨年より、同社の事業部門から、社会性の高い製品や事業を選出し、社会貢献賞を授与する表彰制度を開始した。私は審査委員長を務めているが、審査のための評価基準を作成させて頂いた。これは、NPO向けに開発した「エクセレントNPO」基準(市民性、課題解決力、組織力)を参考に、企業向けに作り直したものだが、製品の社会課題の解決力(7基準)や、その開発を通じて育まれた社員の社会性や成長を問う基準(4基準)である。そして、応募者はこの基準に基づき応募書類を記し、NPOや環境専門家で構成された審査委員も同じ基準で審査をする。

 平成26年度は第2回目にあたるが、最終審査に残ったのは豪雨を予知し、公共インフラの停止など危険回避システムを想定して作られた気象レーダ、中小医療機関でも導入できるよう、小型化、コスト節減を実現したMRI装置、次亜塩素酸を水道水と塩で生成することを可能にした電解機能水生成器、一旦使用されたコピー用紙を白紙に戻し、再利用を可能にしたペーパー・リユース複合機、CO2削減を目的に大幅な効率化に成功したヒートポンプなどの製品で、どれも技術者の好奇心や夢を感じさせるものだった。だが、先の評価基準に基づいて審査をしてゆくと、社会性について更なる課題が見えるせいか、様々なコメントが寄せられた。
  それにしても、最近、科学者やその研究に対して社会性が求められる場面が多くなり、私たちも当然のように思うようになってきた。

2. 科学者の社会性 ~倫理と予算制約~
 科学者に社会性を求める議論は古くて新しい。先日、デンマーク大学の博士課程教育について話を聞く機会があったが、博士教育の初期段階で、自らの研究の社会的使命を徹底的に議論させるセッションが持たれる。英国では公的資金の応募で、その研究がどのように社会に貢献するのかを説明するために、Impact pathwayと呼ばれる図を記すことを課している。もはや、科学者や研究者に社会性を求めることが当たり前になったのだ。
 では、科学者の社会性とは何か。米国科学アカデミーや日本学術会議などを参照すると大きく2つの系譜があるようだ。
 ひとつは研究倫理の問題である。一例をあげよう。イリノイ大学で植物学を専攻していたガルストン氏は大学院生時代に合成化学物質に関する研究を行っていた。後に氏の研究成果は軍事研究で利用され、結果、枯葉剤となった。枯葉剤は、ベトナム戦争で用いられ人間や動植物に大きな被害をもたらすことになった。事態に心を痛めたガルストン氏はじめ多くの科学者が枯葉剤使用に反対し、大統領に訴えた。この例のように、科学者は、科学技術が破壊行為に悪用される可能性も十分に理解し、その実施、成果の公表にあたって、社会に許容される適切な手段と方法を選択する必要があるとされる(日本学術会議 2013年)。
 もうひとつは、経済政策との関係である。つまり、経済活動や産業に直接的に貢献する研究が政策的に求められ、より多くの研究資金が官民双方から投じられるようになった。そうなると即効性や実用性の高い応用研究が求められることになる。こうした傾向は「役に立つ研究」「役に立たない研究」という線引きにつながり、ひいては、応用研究=役に立つ、基礎研究=役に立たないという短絡的な議論にもなりうる。ちなみに、日本の分野別論文被引用数をみると、基礎研究の方が応用研究よりも多く、基礎研究に従事する研究者が多いことがわかる。
 こうしてみると、科学者の社会性の議論は予想以上に複雑で一筋縄ではゆかないことが示唆されている。

3. 研究者にどこまで実用性を求めるのか
 このような疑問を抱いていたためだろうか、東芝の審査委員会で、はっとさせられることがあった。先に紹介した、次亜塩素酸の電解機能水生成器の審査を行っている時だった。従来、次亜塩素酸は、次亜塩素酸塩水溶液を硫酸などの酸で中和して作る方法などがあるが、残留物の毒性なども指摘されていた。しかし、この生成器であれば、塩と水道水で生成することができ、残留物の毒性の心配もなく、しかも1台100万円前後の価格設定で開発中だという。審査委員の誰もが「これはすごい」と感心した。
 しかし、応募シートの課題解決力の基準に関する記述をみると、色々と課題解決の想いを記しているが、実行段階には至っていない。おそらく、技術者は「より安全で簡単に次亜塩素酸を作りたい」という一心で開発にあたっていたのだろう。すると、NGOや環境専門家から、途上国や環境問題での活用案やその戦略まで次々と意見が出された。あたかも、途上国でその製品が使われている映像が浮かぶ程、具体的な提案だ。
 東芝の事務局の方に「ところで、電解機能水生成器の開発は何人で行っているのですか?」と尋ねてみた。すると予想をはるかに下回る人数の答えが戻ってきた。なるほど。その人数であれば、製品開発に手一杯で、それを活用する社会課題の具体まで目配せする余裕はないだろう。また、途上国の特定の事業を念頭に製品を開発していれば、汎用性が低く、その用途は狭いものになっていたかもしれない。

 科学者に社会性を求めることは不可避だとしても、どこまで具体的にそれを求めるべきなのだろうか。ある程度の社会課題のイメージを抱いてもらえば良しとし、より具体的な社会課題の解決のための実用化は、NGOなど環境専門家にアイディアを出してもらえばよいのではないか。
 科学者に社会性を求めることは確かに重要だが、どの程度までそれを求めるかについては、より慎重に議論する必要がないだろうか。
 

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