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見果てぬ市民社会の時代 ~ドラッカー論の誤解 後編~

2014年03月31日

 青年ドラッカーが、ナチスの批判的分析に関する本格的な著書を出版したのは1939年だった。当時の状況に鑑みれば身の危険を覚悟した上での著書であったはずだ。だが、さらに大胆な構想を描いていた。先の著書の執筆途中から、ナチスが破れ、第二次世界大戦が終わることを前提に次の時代を描こうとしたのだ。それは、戦後は企業が社会の中心になるという確信のもと、人類が二度とファシズムに陥らないための望ましい社会像を描いたもので、1942年に「産業人の未来」として出版された。おりしも、ナチスが前線していた頃である。

「個人が役割を自由選択」 
氏が描いた望ましい社会とは、ひとり一人が位置と役割をもつことのできる自由な社会である。それは、個人がどのような役割をもって社会に貢献するか自由に選択し、自らが役立っていると実感して生きることのできる社会である。
 ドラッカーはこうした社会を築くための条件として以下の3つを挙げた。第1の条件は政府に関するものである。政府は、国民に対して思想や言論、職業などについて選択の自由を保証することが求められる。また、政府は権力を有するが、それは社会的課題の解決のために行使されねばならない。
 第2は住民自治である。それは、個人が住民として納税と投票の義務を果たし、政府のあり方を選び、その結果について責任を持つことに留まらず、自発的に地域社会の課題の解決に取り組むことを意味する。そうした取り組みが社会の多様性と基盤を築いてゆくのだと氏は述べている。
 第3は企業に関するものだ。前述のように氏は、戦後は企業中心の社会になることを確信し、それが社会的な勢力になると予想した。またそうした勢力が不可欠であるとも考えていた。なぜならば、政府のような権力機構の暴走を防ぐには、それをけん制するものが必要であり、企業が担うと考えたからだ。そして、社会的勢力となるからには、企業は、経済的な役割に加え、コミュニティの役割、すなわち人々が役割をもっていきいきと生きることのできる場を提供することによって、その役割を果たすべきであると考えたのだ。

「企業勢力は一つの要素」 
ドラッカーは「産業人の未来」を記し終えると次の課題に向かい始めた。先の2つの役割を果たす企業の運営のあり方や条件を明らかにすべく調査準備を始めたのだ。それこそが氏のマネジメント論の起源である。つまり、米国GM社に調査を依頼されたから氏のマネジメント論が生まれたという諸説は正確ではなく、むしろ、氏の壮大な社会論の重要な一要素が企業のマネジメント論なのである。

 だが90年代になると、氏は企業にコミュニティの役割を求めることは幻想だったと述べるようになる。なぜならば、人々がコミュニティの一員として取り組むべき社会課題の多くは企業の外にあるからだ。代わりに、米国で多くの人々の参加を得ながら急成長するNPOにその役割を求めるようになった。したがって、ドラッカーがNPOに関心を抱いたのは慈善からというよりも、氏の社会論の軸となるコミュニティの役割を果たすものとして捉えたからだ。

「2020年の日本人への宿題」
 ドラッカーは、世界の歴史を参照すれば、今世界は転換期にあり、2020年頃まで続くだろうと述べた。それは現代の知識社会が成熟期を迎え、次の社会への身繕いをする時期であることを意味する。氏には次の社会がいかなるものかが見えていたのかもしれないが、それを記す前に亡くなってしまった。だが、転換期の真っただ中にある私たちに重要なメッセージを残している。こうした時において最も重要なのは市民社会であると。それは決して完璧ではないが、経済や政治など人々の社会的な営みの前提であると述べている。一般に市民社会はユートピア的に語られることが多いが、氏はそうした発想で語っているのではない。氏がその重要性を強調したのはナチスに傾倒していったドイツの痛ましい歴史の記憶があるからだ。

 そして、今、日本人はドラッカーから重い宿題を課せられている。それは、無関心の罪を置かわず、ひとり一人が位置と役割をもつ自由な社会をどう築くかという難題である。

日刊工業新聞 2014年3月31日朝刊より

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