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21世紀のナチス論と市民の積極的関与

2015年08月11日

1.『ヒトラーを支持したドイツ国民』
 3年越しで探していた著書がみつかった。ロバート・ジュラテリー著、峰岸隆夫訳(2008)『ヒトラーを支持したドイツ国民』みすず書房。ピーター・ドラッカーが戦中、ナチスの批判的分析を行い現行のナチス論は誤りで、「結局は国民が選んだのだと」と述べているが、ナチス研究の第一人者である木村靖二氏が「驚いたな。それは21世紀のナチス研究の潮流と一緒だ」と述べたのだ。以来、21世紀のナチス研究の潮流を示す書籍を探していたが、中でも本著はぴたりと一致するものだった。
 では、21世紀のナチス研究の潮流とはどのようなものか。20世紀までのナチス研究は、政治側、ナチス側からの視点で、ヒトラーが全てを行い、ドイツ市民は恐怖政治で自由を奪われ、あるいは洗脳されていたという趣旨のものが多い。本著訳者の峰岸によれば、冷戦期と被るところもあり配慮や保身があったのかもしれない。
 他方、21世紀の研究の潮流は、ドイツ市民側の視点から研究したもので、市民は受け身ではなく、積極的にナチスを支持し、関与していったと主張する。特に本著は、新聞記事、ラジオ、巷の噂などを積極的に集めて分析したものだ。こうした情報は、ナチス独裁制のもとで大きな役割を演じていたが、ナチス側のバイアスが入っているとして、従来の研究では使われなかった。

2. テロなき服従
 ナチスの残虐行為は周知のことだが、ドイツ国民の支持を得るためにテロ行為は行っていない。スターリンは幅広い社会層を攻撃し自らの専制に市民を服従させようとしたが、ヒトラーは異なるというのだ。それどころかテロは必要なかったのだ。
 ナチスが最初に掲げたスローガンは共産主義からドイツ国民を守ることだった。そして、最も国民の琴線に訴えたのは、失業からの脱却、生活の安定、治安や街の浄化だった(現に、ナチスは大赤字財政、大型公共投資施策を投じて、欧州で最初に完全雇用を実現している)。そして、当時、政治活動に最初にラジオを使ったのはナチスで、広報活動に巧みであったことはよく知られる。ヒトラーは、国民の反応に執拗に敏感で常にチェックし対応策を打っていたという。
 また、第二次大戦がはじまると「民族共同体」を訴え、国内ではユダヤ人、外国人、外国放送(ラジオ)を聞いた者の強制収容が始まった。ヒトラーは「貴重な人々が前線で命をかけているのに、悪党(国内の)を放っておくのは犯罪的である」と述べ強制収容所の必要性を訴え、履行した。
 そして、近代国家の手続きを利用しながら徐々に独裁体制に塗り替えていった。例えば、政党を一度期にではなく、徐々に非合法化していった。司法は警察司法と特別法廷に取って代わられたが、これによって「法秩序の手続きに恣意性と不可測性が入り込んだ」。実はこれが市民の密告、私的悪用の大きな原因となった。

3. 密告によってゲシュタポを支えた市民
 ゲシュタポ(秘密警察)は、反ナチス、スパイ、ユダヤ人を摘発したことで知られる。通常刑務所や収容所にこれらの人々を送り込む時には裁判が必要だが、保護拘禁のもと裁判を経ず、強制収容所に直行させることができた。
 本著によれば、ウンターフルケン地方のユダヤ人に対する強制的社会的隔離件数の59%、ボーランド人の社会的隔離件数の48%、デュッセルドルフ地方の外国ラジオ聴取禁止違反摘発数の73%が、住民からの密告によるものだった。
 また、本著は密告の内容をつぶさに分析しているが、その殆どが個人的な恨みややっかみによるもので、根拠さえ不明である。例えば、隣人が気に入らないとか、親類との揉め事、さらには夫婦喧嘩からゲシュタポに訴えたものもある。ゲシュタポ側が市民からの訴えについて考え直すようにたしなめたケースもあるが、それでも「ユダヤ人」「外国語放送を聞いた」という明言されれば、収容所に送られるか処刑された。著者のジュラテリーは、警察司法の恣意性をドイツ市民は私的に利用して恨みをはらしていたと述べている。
 戦争後期になると、強制収容所の数と囚人の数は膨れ上がり、強制労働のために市内を列を組んで歩かされた。戦争末期には大量の囚人を移動させるために街頭を歩かせた。衰弱して列を乱すものは容赦なく射殺された。それを沿道の市民は呆然と眺めていたという(水や食べ物を渡す市民もいたが、それは自らの命の危険を意味していたし、それは希だった。)
 終戦間際、ドイツの敗戦が目前にせまる中、国民は「夢の武器」が救ってくれると信じた。まさに神風が吹くことを期待していたのだ。

4. 企業は敷地内に収容所を設置
 ナチスは軍事と公共事業を軸にした経済政策を施行したが、その最大の受益者は企業だった。私たちにも馴染のある、ベンツ、ジーメンス、ボルシェ、フォルクスワーゲン等の名前が列挙されている。彼らは政府からの受注で潤ったのみならず、囚人を超低賃金労働者として利用した。例えば、ベルリンには700の収容所が存在したが、ジーメンスのようなドイツ大企業の敷地内に設けられた収容所は大きく、700人の女性を含む2000人を超える囚人がいたという。つまり、企業側もナチスに言われるままというよりも、積極的、計画的に囚人を活用したのだ。

5. 日常から狂気のグラデーション
 著者のジュラテリーが膨大な根拠資料の分析から示したのは、ドイツ市民のナチスへの積極的関与である。では、何故、ドイツ市民は積極的に支持、関与したのか。その理由として、失業や生活困窮にあえぎ、安定のためなら自由を犠牲にしてもよいととらえたこと、当時ドイツでは生まれたの民主主義は経済、対外的な悪環境の中、うまくかじ取りができず、国民の眼には弊害と映ったこと、そして、政治への無関心、社会や地域への無関心が挙げられている。
 無関心は、さらに2つの罪を生んだ。ひとつは、残虐な行為が日常生活の中に組み込まれ無感覚になっていったことであり、もうひとつは批判的に考え議論する空間を作れなくなっていったことである。白バラ運動のような学生による反ナチス運動もあったがすぐに弾圧された。ジュラテリーは、こうした活動はなかったわけではないが、それが線になり、面になる力が当時のドイツにはなかったと指摘している。

 本著をfacebookで紹介したところ、友達の中島大希氏が「日常と狂気がグラデーションでつながっているように見えて、ゾッとした」と感想を記していた。まさにいくつかの要因と条件が重なったことで善良な市民が変質していったようにみえる。それは決してドイツ特有のこととして、あるいは他人事と捉えることはできないだろう。
 現在、本著はドイツ語に翻訳され、ドイツ政府は市民教育用教材として廉価で発行している。それでもナチスの記憶が風化しているという批判があることも書き添えておきたい。

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