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”Nature”に取り上げられた日本の科学コミュニケーション事情

2013年09月10日

2013年8月号の国際科学雑誌『Nature』に、日本の科学コミュニケーションに関する調査結果が掲載された。この調査は科学技術振興機構(JST)の科学コミュニケーション・センターが行ったもので、僭越ながら、私もこの調査に参加させていただいている。本調査の仮説を作成している時には気づかなかったが、改めて『Nature』を読み返してみると、次第に違和感を感じてきた。

1. 9千人の科学者へのアンケート結果
 本論でいう科学コミュニケーションとは、科学者が研究成果や自然科学の面白さ、時にはそのリスクについて、一般の市民に伝える行為である。特に、3.11の原発事故以降、科学者は科学コミュニケーションに努めるよう、政策的にも強く勧められている。

アンケート結果は次のような内容である。
 JSTは2012年に、9000人の自然科学者に対してアンケートを実施した。その結果、64%が何ら かのかたちで科学コミュニケーションを実施していることがわかった。だが、34%はそれを実 行していない。科学コミュニケーションを阻害する要因として、事務処理の負担、資金不足が 挙げられている。だが、最大の要因は、科学コミュニケーションを実施しても、科学者の業績 として評価されず、雇用に結びつかないこと、そして研究資金獲得に寄与しないことである。

この結果は、予想とおりであり、仮説を裏付けるものであったといえる。そして、この仮説は、4か月間をかけて、数名の科学者、科学コミュニケーション従事者ともに議論し、問題を整理し、構造化していったものだ。

2. ほんとうにこの解釈だけでよいのか 
 しかし、改めて『Nature』や報告書を読み返してみると、本当に、こうした解釈だけでよいのだろうかと疑問が湧いてきた。先の仮説にもとづけば、科学者は業績や研究費に結びつかないことには関心を示さず、行動しないということになる。
 たしかに、自然科学者の間の業績をめぐる競争は激化している。先日、エルゼビアという学術論文データを扱う企業の説明を聞く機会があったが、世界中の主な科学者の業績とその順位が一目でわかってしまう。しかも、それは論文引用数、主要ジャーナルへの掲載論文数など、あくまでも論文という指標で評価される。また、研究費の獲得金額も雇用の際の重要な要因だ。そして、多くの公的資金を使う科学者は、社会に対して説明責任がある。
 この状況は、あたかも、論文製造会社が研究費市場という媒介を通じてめまぐるしく取引されている、疑似市場のようだ。そして、この会社は受託者責任を果たすために説明をする。それが、科学コミュニケーションだとすれば、あまりにも殺伐としている。
 だが、科学者とは何か。発見や驚きなど、純粋な部分があるからこそ、科学者は魅力的な存在だったのではないか。その発見の醍醐味を誰かに伝えたい、人類の叡智に寄与したいという、動機があってこその科学コミュニケーションではないか。そうでなければ、聞かされる市民にとってもつまらないものになってしまう。

 昨日、JSTの研究者らと上述の問題提起をしながら議論した。振り出しに戻してしまうところがあったかもしれないが大事なことだった。そして、先のアンケートがカバーしているのは科学者の社会的責任の部分であると再確認し、これに加え、科学者の夢や純粋な部分を導きだすための調査を行うことにした。次のステージが楽しみである。

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