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チャーチルが書評を記したドラッカー著『経済人の終わり』

2025年08月02日

「ドラッカーは、独自の頭脳をもつだけでなく、人の思考を刺激してくれる書き手である。それだけですべてが許されるという存在である」

 これは、英国首相ウィンストン・チャーチルが、ドラッカー著『The end of Economic Man』(邦訳『経済人の終わり』)について記した書評の一篇である。『経済人の終わり』とは、ドラッカーの処女作で、ナチスドイツが善戦している1939年に出版された、ドイツ全体主義を批判的に分析した本格的な著書である。本著がセンセーショナルなのは、ナチスが台頭する中で、危険を顧みずに記されたことだけではない。ナチス研究はヒトラーによる恐怖政治が一般的な解釈であったのに対し、ドラッカーの解釈は「結局は国民が選んだ」と述べている点で、本著が出版されてから30年近く、ドラッカーの主張は受け入れられなかったという。

 チャーチルの書評の「独自の頭脳」「人の思考を刺激してくれる」という表現は、なかなか意味深である。私も、数えきれない程、本著を読んでいるが、やや斜に構えた論理展開であるために読むたびに読解に苦心する。他方、あまりにも本質的であるために毎回新たな発見がある。おそらくチャーチルも同じような印象を持ったのではないだろうか。

 先ほど、本著を読んで思わずうなってしまったのは、ナチスが完全雇用を実現した方法に関する分析だ。ナチス政府は、低所得者層には用心深く配慮しながら、国民全体に「節約」を求めることによって消費を抑制させる。同時に、税と強制的な寄付によって国民や企業から金を吸い上げた。それを軍事産業や公共事業に投資することによって雇用を生み出し、完全雇用を実現したのだ。節約をし、寄付をした国民は政府から美徳として褒められ、ある種の社会的満足を得る。そして、何よりも完全雇用を実現したのだから、当初多くの国民は満足していた。だが、経済は急速に縮小再生産に向かったという。

一見、都合よく見える政策も、一呼吸おいて、時間軸を延ばして見ると、明らかに社会を不幸にするものがある。日本でもそのような政策が横行していないか。そのような想いで本著を読み返している。

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