今日の東大講義の主テーマは「無関心の罪」だった。
「無関心の罪」とは、ドラッカーがドイツのファシズムを分析する中で、最大の罪と指摘したものだ。それは、ドラッカーが作った言葉で、見て見ぬふりをして沈黙してしまうことを意味するが、特に知識層のそれをさす。
ヒットラーが政権を掌握した1993年、氏はフランクフルト大学の講師だった。リベラルで知られる同大学は真っ先にナチスのターゲットになった。
ナチ党員は、全教員を集め、罵詈雑言が浴びせた上で「明日からはユダヤ人は門をくぐってはならぬと」命じた。教員たちは、最もリベラルな発言をする生化学・生理学の教授に固唾をのんで期待した。
しかし、教授は「素晴らしい演説をありがとうございます。ひとつ分からないことがあります。生化学・生理学の研究費は支給されるのでしょうか」それだけだった。その後、散会になったが、教員たちはユダヤ人教授を避けるようにして出ていった。
ドラッカーは「最大の罪は恐らくは、新しい、二十世紀の罪は、誰も殺しもしないし、嘘もつかなかったものの、敢えて証言しようとしなかった生化学・生理学者の罪、あの「無関心の罪」であろう。」と述べている。
翻って現代、トランプ政権は、リベラル傾向だと断じる大学を名指し、DEI施策の見直しや反ユダヤ主義的活動の取り締まりを求め、それに従わぬ大学には補助金の凍結すると表明した。ハーバード大はこれを拒否したが、コロンビア大は受け入れてた。
「あなたが学長ならどうするか?」と学生たちと議論した。学生たちの総意は学問や思想の自由を犠牲にしてはならぬというものだが、同時に財政面での独立性が議論になった。
大学弾圧はナチス以降も様々な地域で起こっているが、日本で起こらないと言えるだろうか。その時、私たちは「無関心の罪」を侵さず、課題に向かうことができるだろうか。