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ドラッカーの意思

2013年07月15日

1. 世界中に広がる「ドラッカリアン」 ”
 もしドラ”ブームも随分、落ち着いたようにみえるが、今なお、世界中に熱心な信奉者がいるのがドラッカーである。米国、日本、韓国、中国にもドラッカー学会が創設されているが、その熱心なメンバーは、ドラッカー・ファンは、「ドラッカリアン」と呼ばれるのだという。
 私も、ドラッカーの著書を翻訳したり、氏について記す機会をいただいているので、ドラッカリアンということになるのかもしれないが、どうも違和感を感じてしまう。

2. ドラッカーとコミュニティ・センターの思い出 
 7月14日に、名古屋の参画プラネットが主催してくださった講演会で、ドラッカーの思想の原点について講演した。男女参画のNPO主催なので、参加者は女性ばかりだろうと思ったら、随分と男性がおり、皆さんの発言も実践に基づいたものばかりで重みがある。90分の講演の後、希望者を募り1時間の交流会。皆、何かを語りたくてきらきらしている。

 この光景をみながら、ふと、思い出したことがある。ドラッカーが終の棲家となったクレアモントで、地域の人々を対象に講演会をしていた時のことである。日本でいえばコミュニティ・センターで講演をしているような感じだ。参加していたお年寄りの質問にもドラッカーは丁寧に答えていた。会場の奥では、夫人のドリスさんが講演の様子を見守っていた。そこには、気取らない知的な楽しさがあった。

3. アカデミックを嫌ったドラッカー
 ドラッカーの言葉は講演の時も、執筆の際も常に平易だった。氏は人々の生活や実務に役立つことを重視していた。そして、アカデミックな形式要件を嫌い、私が博士課程に進む時にも戒められた。「博士課程に進むなんてクレイジー!。完璧に美しい学術論文を書いても、役に立たないのなら意味がない。」と。
 そうした考えは、ドラッカーの文体によく表れていた。時々、これほど、ざっくりした説明でよいのかしらと思うこともあったが、そこで詳細を記したら、文章のリズムが崩れて、メッセージ性が半減してしまうだろう。
 ちなみに、知識量が不足してからざっくりとしか記さないのではない。ドラッカーの生家には常時、識者が集まりサロンが開かれていた。幼少時から生きた教養教育を受けてきたのだ。氏の頭の中には膨大な知識と教養があったのは確かだ。しかし、氏は、その中から最も伝えたいことを補強する最低限のことしか記さない。そのほうがわかりやすいのだ。結果的に、アカデミックな論文形式とは異なる文体になった。
 時々、ドラッカーはアカデミックな世界からの評価は高くなかったということを耳にするが、それは「役に立つこと」を氏が貫こうとした結果であろう。

 ドラッカー・ブーム再来後、ドラッカーを学ぶ場において、アカデミックな形式要件を重んじようとする動きもあるようだが、それはドラッカーの意思とは異なることではないだろうか。

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