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ポーターのCSVに対する共感と違和感

2013年09月23日

1. マイケル・ポーターのCSV
 マイケル・ポーターの論文”Creating Shared Value”(Harvard Business Review February 2011)を読み終わったところである。最近、わけあって、この議論に参加することがあったからだ。

 一言で感想を述べれば、深い共感と違和感が交差している感じだ。
ポーターは、これまでのCSR活動が、政府や市民団体などからの外圧に対する贖罪的なもので、企業にとってはロスにしかなりえないコストであったと批判する。そして、対案としてCreating Shared Value(CSV)を提案している。その意図は、これまで企業にとっては視野外においていた、環境、貧困、教育などの社会的課題をも視野に入れて、製品や販路の開発することで、新たな価値を創造することになるというものだ。これまでのCSRにおいて「企業の外」として捉えていた社会課題を、企業内の課題として取り込んで、開発を進めてゆこうというものだ。こうした考え方で取り組めば、企業が共同する関係者は増え、新たなクラスターを築くことになるのではないかと述べている。私は、この論説について深く共感した。「企業は誰のものか」という議論が一時、巷をにぎわせていたことがあったが、ポーターの主張にはその存在をより社会的な存在として捉えようとする考えを見出すことができるからだ。

2. 2つの違和感と日本関係者の誤解
 他方で首をかしげたくような点もある。
 第1は、従業員や社員に関する考え方だ。ポーターは、CSVの考え方に基づけば、従業員にもベネフィットがあると述べている。すなわち、これまでコストカットの対象になっていた福利厚生も価値あるものになるうると。確かにそうかもしれない。だが、社員が求めているのは福利厚生だけなのだろうか。社員が模索し、悩んでいるのは、自らの会社で働くことの社会的な意義を見出せるか、誇りをもてるかという心の問題ではないだろうか。今、心の病に苦しむ企業人は増加の一途をたどっているが、その大きな原因のひとつに、自らが働いていることに意義を見いだせなくなっていることがあるのではないか。

 第2は、ポーターの論考の帰結である。CSVの推進により、企業に新たな価値と経済価値の増進をもたらすだろうと述べている。この経済価値が何を意味しているのかについては解釈が割れるだろうが「利益」と読むこともできる。その延長線上で読み進めれば、CSVのゴールを「利益」にしているように読めてしまう。したがって、そのロジックは、利益という目的のために、社会課題の解決を手段として用いるということになってしまう。しかし、それでは目的と手段を逆さまにしていないだろうか。

 最近、日本でもCSVが話題になり、「CSRからCSVへ」と語る人々も増えてきた。これからは収益性のない寄付やボランティア活動は辞めて、収益活動による社会貢献にチェンジすべしという意見が頻繁に聞かれる。これは明らかにポーターの論考を誤読したものだ。ポーターの主張は、企業の視野を広げ、社会課題にまで目を向ければ、新たな企業行動と価値を見出すことができるという点であり、非営利活動を否定しているものではない。しかし、先のような誤読を招くのは、利益と社会課題の関係の捉え方、すなわち目的と手段の関係を逆さまに捉えてしまうようにミスリードすることに起因するのではないだろうか。

 ポーターが述べているように、これからは営利と非営利の境界がより曖昧になってゆくだろう。そもそも営利と非営利は分断されているものではなく、つながっているからだ。そして、経済社会や人口動態の変化、規制緩和や行政改革による制度変更によって、公共領域といわれているゾーンが大きく変動し、政府、企業、非営利組織の活動分野も活動スタイルも大きく変化するだろう。こうした状況下で、大事なのは、これまで自分の仕事ではないと思って視野外においていた社会課題に目を向けて、自分のこととしてとらえ直してみることなのではないか。私は、誰かの解釈を通じてではなく、ポーター本人の口から、この点を確認したいと思う。

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