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真央ちゃんのブログから総務省新人研修に

2014年04月16日

1. 総務省総合職新人研修
 4月15日、総務省新人キャリア向け研修の一コマとして講義をさせていただいた。47人の新人というのは、他省庁と比較してもかなり多い。学部卒、大学院卒のフレッシュマンたちは、少し学生の香りが残っていて初々しい。きっと、子供のころからトップを走り続けてきた若者ばかりなのだろうか、きらきらと輝いていた。
 私の講義は一本の電話から始まった。「あの田中先生、真央ちゃんのファンですよね。」が、研修担当の役人の第一声だった。私が昨年暮れに記した、真央ちゃんの採点結果について記したブログを読まれたのだそうだ。そして、このブログをもとに講義をしてほしいというのだ。真央ちゃんとフィギュアスケートという言葉の誘惑に負け、その場でお引き受けしてしまった。

2. 真央ちゃんに関するブログを教材化
 簡単に引き受けてしまったものの、最初はあの2000字ほどのブログから、60分の講義のための教材にする方法に定まったものがあるわけではなかった。
 総務省といえば、政策評価の本家であり、政策評価法に基づいて各府省が行う政策評価を取りまとめ、必要であれば修正を促し、最終案を国会に提出する役割を担っている。新人たちは、いずれ評価書し、評価されることになるだろう。そんな彼らたちに、まず、何を伝えるべきかと考えた。それは「評価は生活のあらゆる場面で行われている身近な行為であり、絶対の評価、絶対の基準などないこと。だからこそ、評価基準に盲目的に従って作業をして、思考停止に陥らないでほしい。」という点だった。要は評価作業をもっと楽しんでほしいということだ。

 講義は、評価のイメージに関する質問や隣同志で腕時計を交換できるかを議論してもらうことから始めた。こうした取り留めもない行為も、何らかの基準に基づき評価がなされていることを理解してもらうためだ。そして、評価的な発想や言葉に慣れてもらった上で、一気に真央ちゃんの演技と採点結果のトピックに移った。昨年のグランプリファイナルで素人目にはパーフェクトな演技だが、採点結果は予想以上に低かったこと、それについて浅田選手が「気にしていない」という発言をしたことについて、皆の意見を聞いた。「自分自身の戦いに集中している」「他人の評価を気にせず自らの演技に集中している」など、新人たちからは、一ファン、一観客の視点からの意見が出された。
 そこで、評価的な発想から捉えると別の風景が見えるかもしれないと提起し、陸上100M、野球、アメリカンフットボール、そしてフィギュアスケートの競技の輪郭とルールを、評価論の言葉に置き換えて斬っていった。フィギュアスケート以外は親しみがないことから、アメフトのコーチに助言をしていただいた(未だに、アメフトのルールはマスターできず)。個人的には、アメフトが参加と分業の精神に基づき、選手交代が自由になったことから、競技が頻繁に止まるようになったと、競技が分断されることで、より細かな指示が必要になり、それがより緻密な分析に基づく戦略に発展していった点が面白い。だが、その面白さは新人たちに伝えきれなかったかもしれない。
 そして、新人たちに、これらのスポーツを評価論の言葉で整理してもらうべく、簡易の作業をしてもらった。その上で、真央ちゃんの「気にしていない」という言葉の意味を再考してもらったのだ。

 私のブログでは「現場の多くの選手が納得しないなら、ルールは改正すべき」で終わっているが、講義ではその先の説明が必要だと考えた。そのために、3月末に行われたフィギュアスケート世界選手権に来ていた国際審判員にヒアリングしたのだった。ヒアリングの内容をもとに、再び、新人と議論した。そこでは、ルールや評価基準は常に見直しが必要であり、その場合には、明確な方針と何よりも関係者の合意形成が必要であるという意見が出された。
 
3. 政府の評価は一番面白いところを自ら切っている
 仕事がら、政府の政策評価書や大学の評価書を読む機会が多いが、その殆どが「つまらなそう」に見える。なぜ、つまらなそうかといえば、そこで問われている意味や基準の意味をよく考えずに、とりあえず評価点を上げることに終始して、表面的になぞられているものが少なくないからだ。私はこれを「思考停止状態」と呼んでいる。
 評価基準は絶対ではなく、施策や事業によっては基準とうまく合わないものもある。合わないのであれば合わないと説明すればよい。肝心なのは、なぜ、合わないのかその理由を考え、評価者と共有することである。必要であれば、基準は改正すればよい。その理由を考えるところに面白さがあるのだ。
 また、フィギュアスケートなどスポーツを評価の言葉で捉えてみて、覚醒だったのは、評価でもチャレンジを促すことが可能であるという点で、私も欠けていた発想だ。そして、この点は、評価書を記す側というよりも、評価制度やシステムを設計する側の課題であり、まだまだ可能性はありそうだ。

 60分間の講義の中で、新人たちにどこまでメッセージを伝えきることができたのか自信はないが、3年、5年経った時に、この講義の一片を思い出してくれればと願っている。

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