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岐路に立つ日本の市民と政治 -東日本大震災後を経て日本の市民は変わったのか- その

2013年03月17日

 2011年3月11日の東日本大震災を経て、日本の市民は変化したのだろうか。そして、市民と政治の関係に何らかの変化が起きたのだろうか。この問いかけの背景には、「日本全土を揺るがすような災害を経験したからには、不屈の精神が養われ日本の市民社会はきっと強くなったに違いない。そして、その変化を受け政治の姿勢にも変化が生じたに違いない」という仮説がある。
 そこで、前節の「その1」では、共助や利他行動を示す指標について、都道府県別に、震災前後の変化を確認した。その結果、殆ど変化はみられず、ボランティア行動率は減少傾向を示すものも複数あった。本論「その2」では、政治と市民の関係について考える。

2.3 政治に対する市民の意識
(1)総選挙投票率
 投票率は、市民社会の活性度をみる最も一般的な指標のひとつである。すなわち、市民が社会課題に関心を持ち、積極的に意思表示を行うとすれば、自らが有する投票権を行使すると考えられる。
東日本大震災後の日本には、被災地の復興や原発問題など深刻な問題が山積されている。そうであれば、日本の市民はこれらの課題解決のために政治に託すべく、積極的に自らの投票権を行使するのではないかと考えられる。そこで、2009年と2012年の衆議院選挙における都道府県別投票率の変化をみることにした。東日本大震災前後における衆議院選挙小選挙区の都道府県別投票率をみると、2009年の衆議院選挙は、長年続いた自民党から民主党への政権交代をかけた総選挙であり,国民全体の関心が高かったことが、投票率を押し上げたと予想される。つまり、2009年の投票率が通常より高かった可能性がある。
 そこで、2003年の衆議院選挙におる投票率と2012を比較してみた 。すると、前者の投票率は59.86%であり、2012年総選挙における小選挙区投票率59.32%をやや上回っており、やはり投票率は低下していた。

(2)なぜ選挙に消極的だったのか
 では、なぜ、投票率が下がったのか。この疑問に対して、次のような解釈もあろう。すなわち、投票をしなかったこと自体が民意であるというのだ。2012年衆議院選挙では、昭和20年以来といわれるほどの数の政党が結成された。しかし、復興や原発、雇用問題において明確な答を示した政党はなかった。
 選挙期間、「選びたい政党がない」「どの政党を選んだらよいのかわからない」という声が度々、有権者から聞かれたが、その結果、投票に行かなかった者が増えた。したがって、投票率が下がったこと自体、民意の表れであるというのだ。いわば、有権者の無言の抵抗ということであろうか。しかし、それは、健全な民意の表し方ではない。
 
 こうした無言の抵抗の背景には、政治に対する不満がある。2011年12月に朝日新聞が行った世論調査によれば、「政党は国民のほうを向いていると思うか」との問いに85%が「向いていない」と回答している。また「政党が公約を以前より守るようになったか」という質問に対して、80%が「そうは思わない」という回答している。こうした傾向は、2012年になっても好転せず、当時の政権支持率が9%に落ちたことに鑑みれば、国民の不満はより悪化していたと考えられる(毎日新聞 2012年7月30日付朝刊)。

 だが、なぜ日本の有権者は投票権を放棄するという消極的な方法をとるのであろうか。不満があるならば、有権者としてその意思を堂々と政治に示すべきではないか。こうした消極的な態度の背景には、日本人が政治に対して持つある種の感情があると考える。
朝日新聞の世論調査(2011年12月)で、「政治にかかわりたい?」という質問に対して、かかわりたいは37%、かかわりたくないは54%で、否定的なものが目立っている。その理由として、昨今の政治のパフォーマンスに対する落胆、不満が挙げられている。
しかし、それだけではない。日本では、よく、「政治に関わると色がつく」と言われることがある。こうした表現は政治に対するダーティーなイメージを表したものである。
 事実、政治に対してこの種の印象を持つ日本人は少なくない。統計数理研究所(Institute of Statistical Mathematics)が2008年に実施した調査結果(「市民の政治参加と社会貢献の国際比較 日本調査報告書」)では、公務員、医者、裁判官、警察、政治家、ジャーナリスト、教員、宗教団体、非営利組織等について、信用度を4段階に分けて尋ねている。その結果、国会については、「あまり信用しない」「まったく信用しない」が68%、「非常に信用する」「やや信用する」は27%、国会議員についても全く同様の数字となっている。さらに政治関係の団体や会については、「あまり信用しない」「まったく信用しない」が71%、「非常に信用する」「やや信用する」は23%となっている。中央官僚や新聞への信頼度も低い傾向を示すが、政治に対する信用度が最も低い。こうした傾向は最近のことではなく、少なくともこの30~40年間みられるものである。

3. 政治はなぜ市民社会を視野外においたのか
 政治側は日本の市民社会をどのように捉えているのだろうか。昨今の動向をみる限り、政治が市民社会の役割を重視しているとは思えない。ここでは、東日本大震災後に行われた2012年の衆議院選挙の政権公約と脱原発デモに対する政治の反応に着目し、その理由を探る。

3.1 消えたNPO政策
(1)2012年衆議院選挙にみる変化
 2012年12月の衆議院選挙では、各党は政権公約集を発表したが、これまでの政権公約と異なる点があった。自民、民主、公明の政権公約からNPO政策が消えていたのだ。新党の日本維新の会の政権公約には、国民に対して経済的自立を求める記述はあったが、NPOに関するものはなかった。NPO法が制定された1998年以来、NPO関連政策は、毎回、主要政党の政権公約に記載されてきたので、こうしたことは初めてである。
 しかも2009年の政権交代が起きた衆議院選挙の時とは真逆の現象である。政権を掌握した鳩山元首相は、所信表明演説において、市民や民間非営利組織が日本の国つくりの機軸をなすと述べ、「新しい公共」というキャッチフレーズを打ち出した。その後、寄付税制改正に着手し、多額の予算をNPOや社会起業促進のために充当した。ところが、2012年の民主党の政権公約には、イントロダクションに枕詞として「新しい公共」は記されていたものの、具体的な政策には、NPO関連政策はなかった。
 自民党の政権公約からもNPO関連政策は消えていた。それだけでなく、父権的な色彩を帯びていた。たとえば、愛国心と規律を育むために、中高学校でのボランティア活動を促進すると記されていた。また、「国民本位」という言葉が用いられているものの、その内容は、地域単位で国民の声を聞いて、自民党支部の運営に反映するというものであった。こうした記述から想起される国民像は、おおよそ主体的・自立的に行動する市民像とはかけ離れたもので、時代錯誤的な印象さえ否めなかった。

(2)なぜNPO政策が消えたのか
 なぜ、主要政党の政権公約からNPO政策が消えてしまったのだろうか。その理由を探るためには、NPO政策の成立過程からみてゆく必要がある。
NPO法(特定非営利活動促進法)は、1995年に起きた阪神・淡路大震災でのボランティアの活躍が契機になり、こうした活動を支えるためには法人制度が必要であるという世論の強い支持を得て、1998年に制定された法律である。日本の法律は閣法によって制定されたものが多いが、この法律は議員立法で、しかも全会一致によって制定されている。また同法には、17の活動領域が記載されていたが、その殆どは、福祉、教育、文化分野等でのサービス提供型の活動だった。ちなみに、そこには政策提言やアドボカシー活動などは明記されていなかった。NPO法制定において中心的な役割を担った自民党の加藤紘一前衆議院議員によれば、当初、この種の活動を想定していなかったという。
 NPO法制定後まもなく、小泉政権が誕生する。以来、行財政改革や構造改革が主要政策課題になった。こうした中で、行政機関に代わる新たな公共サービスの担い手として、NPOが注目されるようになった。主要政党の政権公約には、寄付税制の整備を中心にNPO政策が登場するようになった。また、医療・福祉、雇用対策などの各種政策の実施主体のひとつとしてNPOが記されてきた。
 しかし、2012年の衆議院選挙では、一転してNPO政策が消えた。何故なのだろうか。その理由として以下の5点が考えられる。

 第1に、適当な政策が見当たらなかったという点である。民主党政権が寄付税制において税額控除を導入し、あわせてNPO向けの認定要件を大幅に要件緩和した。したがって、主要な政策を実行されてしまったために、他に何を政策として掲げたらよいのか思いつかなかったのではないか。
 第2に、NPOを支援しても票につながらないという点である。業界団体であれば、組織票を集めることができるが、多様性や自由を重んじるNPO関係者の行動様式にはこうした慣習はない。
 第3に、民主党政権に対する反動である。前述のように、民主党は政権を掌握して間もなく、「新しい公共」という政策ビジョンとして打ち出した。他党にとっては、民主党と同じような政策を掲げたくないという思いがあるのではないか。
 第4に、NPOの政策効果である。NPO法制定以来、NPOは各種の政策実施の担い手として記されてきた。15年経て、その効果が問われたのではないだろうか。また、民主党政権下で、従来になく大型予算が組まれ施行されたものの、顕著な成果には結びついていない。
 第5にNPO法人のイメージの低下が考えられる。現在、NPO法人数は4.6万団体で、他の非営利法人と比較しても法人数の増加率は著しい。しかし、行政の補助金の受け皿や企業のマーケティングの手段として設立されたNPO法人も増えており、社会的使命のもとに市民活動を行うNPOとそうでないものが混在し、玉石混交の状態といえよう。2012年末の国会予算委員会で、民主党幹事長の細野豪志議員が民主党政権の成果としてNPO関連の政策を挙げた時に、他議員から「変なNPOがいる」と野次が飛んでいた。こうしたイメージの低下も、NPO政策が消えた理由と思われる。

3.2 なぜ政治は原発デモに反応しないのか
 前述のように、福島原発事故後、都心を中心に脱原発デモが起こっている。だが、政治の反応は鈍い。昨年 衆議院選挙での各政党の政権公約には、「脱原発」「卒原発」という言葉が飾られた。しかし、どの政党も、明確な解決策を示すまでには至っていなかった。
いわば、選挙対策として、世論やマスコミの関心を惹くために、政権公約に掲げたものと思われる。
 衆議院選挙で政権を奪還した自民党は、政権公約の中で、当面のエネルギー政策として、「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指し、再生可能エネルギーや省エネの最大限の推進を図る」と記していた。しかし、現在、安倍政権は原発稼働や新規建設を容認する動きをみせている。あたかも、脱原発デモが視野外におかれているようだ。

 なぜ、政治はデモに反応しないのであろうか。この問いかけに対して、次のような答えもありうるだろう。つまり、デモにいちいち反応していたら国政を遂行できない。政府として毅然な態度をとるのは、日本に限らずどこの国の政府でも同様であるというものだ。
 しかし、デモそのものの影響力を認めがたい雰囲気が、市民感情の中に依然横たわっていることも見逃してはならない。2011年朝日新聞調査によれば、「デモに抵抗を感じる」という人は63%で、「抵抗を感じない」の33%の倍近かった。デモに対する抵抗感をもつ日本人は多いのだ。
 なぜ、抵抗感があるのか。それは戦後日本の社会運動の歴史的特徴に起因していると思われる。その歴史は、1950年代の平和運動、反原水爆運動に遡る。60年代になると日米安保反対運動、60年代後半はベトナム戦争反対や成田空港建設反対運動がおこった。その後、運動は下火になってゆくが、70年代後半になると過激派による暴力的な運動が問題視されるようになる。80年代には反原発、環境保護をテーマにした社会運動が起こったが、以前ほどの盛り上がりはなかった。
 社会学者の小熊英二氏によれば、戦後日本の社会運動には3つの特徴がある。第1に強烈な絶対平和志向、第2に少数精鋭型のマルクス主義の影響が強かったこと、第3に倫理主義が強いことである。倫理主義とは、自らをエリートであると認識し、だから貧しい労働者のために私生活を捨てて奉仕しなければならないという考え方である。
 こうした特徴が相まって、社会運動は、一時盛り上がりをみせても、人々が離れてゆき、敬遠されていった。そして、残った少数の者が会員や勢力を争って過激派となり、ますます世間から敬遠されるようになっていった。日本人のデモに対する抵抗感の背景にはこうした戦後日本の社会運動の記憶があると考える。

 政治は、福島事故後の脱原発デモも、これまでの社会運動と同じものだと思ったのではないだろうか。2012年に言論NPOの勉強会に招かれた議員に、なぜ、役所前につめかけたデモ関係者に会わないのか尋ねたところ、「デモには職業運動家が多く参加している」と答えたのが印象的だった。
官邸前の脱原発デモが続く中であっても、自民党政権が原発稼働の方針を打ち出した。今回のデモも「職業運動家の活動だ。以前そうであったように、やがて人々は離れてゆき、沈静化するだろう」と判断しているのではないだろうか。
 しかし、2011年の反原発デモは、倫理主義やマルクス主義の伝統を引き継いだ運動とは異なっているようにみえる。前述のように、これまでデモと関わりのなかった人も少なからず参加している。その理由はいくつか考えられるが、原発問題は身近な問題であるという当事者意識が芽生えたこと、原発問題への対応のずさんさをみて、政府だけには任せておけないという思いをもった人々が行動したことが挙げられる。
 他方で、政治側は、こうした市民の動向を視野に入れなくとも体制に影響がないと考えたのではないだろうか。なぜならば、今回の衆議院選挙で自民党は大勝しており、しかも投票率は大幅に下がったことに鑑みれば、デモは有権者の意志を体現しているものではなく、選挙体制に影響がないと判断した可能性がある。

4. 結語 ~広がる市民と政治の距離~岐路に立つ市民と政治~
最後に、冒頭で掲げた問いかけについて考える。

「日本の市民社会は変化しているといえるのだろうか。仮に変化があるとすれば、政治はその変化に気づいているのか、いないのか。そして、政治が変化に気づいているとすれば、なぜ、政府の反応は鈍いのだろうか。」

 東日本大震災を経て、その復旧・復興支援のために行動した市民や非営利組織は確かに存在する。市民の間に変化は生じているのだ。しかし、市民社会総体の変化とは言い難い。むしろ、震災を経ても利他的あるいは共助的な行為の指標に変化はみられず、いくつかの指標には低下傾向さえみられた。特に、投票率の低下は著しかった。震災復興や原発問題など、社会課題が山積されていることは多くの日本人が認識するところだ。しかし、有権者としての権利を行使し、政治に働きかけることによって課題を解決しようという意識は薄い。
 他方、政治側の市民に対する視点も希薄にみえる。特に、2012年の選挙公約にはその点が色濃く現れた。だが、政治関係者が市民の変化に気づいていなかったとは思えない。被災地での民間支援、脱原発デモに関する報道は多く、社会動向に敏感な政治家の目に留まらなかったとは考え難いからだ。しかし、市民の動向への反応が鈍かったのは、選挙や体制に影響がないと判断したからだと思われる。

 以上から、決してオプティミスティックな結論を導くことはできない。むしろ、憂慮すべきだろう。市民が自ら選挙権を放棄し、政治は市民の主体的な役割に目を向けない傾向が強まれば、結局は選挙を通じた政治への社会監視の機能は弱体化し、さらなる政治の質低下を招いてしまうのではないか。市民は、自分たちが信用できないと思う政治の状況こそが、自らの有権者の状態を映し出している鏡であることに気づかねばならない。 
 そのためには、市民と政治の距離を健全なかたちで縮めてゆく必要があるが、政治側の改善のみならず、私たちの中に横たわっている政治に対する特有の感情や慣習の問題など、乗り越えなければならない課題が山積されている。しかも、どれをとっても難関だ。
まず第一歩は、東日本大震災を契機に生まれた市民の変化の芽を育て、より多くの人々の当事者意識の醸成へとつなげてゆくことではないだろうか。

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