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拒絶する医療、救う医療

2015年01月01日

年末に妹を亡くし喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただきます。
しかしながら、妹を弔う意味で、報告をすることをお許しください。

1. なぜ医療を拒絶したのか
 妹は3年前に発症した卵巣がんの再発で亡くなりましたが、最後の5か月間は、医療サービスを受けず、ほぼ独りで痛みの緩和をしながら自宅で療養しました。彼女が医療従事者であったから出来たことだと思いますが、こうした特殊な事情から、私は、居を移しての見守りをすることになりました。しかし、この機会を得ることで、この3年間、妹が直面し、強い拒絶感を抱いた医療の問題を凝縮したかたちで見ることができたと思います。
 それは、病院および在宅医療における、倫理の問題、医師の技量のバラつきや治療計画の不在、告知などを含む医療技術の問題、訴訟とそれに対する防衛反応など法律に絡む問題、コミュニケーションの問題(患者との対話の回避、逆に過剰な共感)、そして過剰請求などによる公費の無駄遣いなど、多岐にわたるものでした。例えば、医師が診察中に新興宗教の冊子を渡したり、緊急時に診療所に電話をしても5時間以上コールバックがないなどの行為は、理解しがたいものでした。
 また、医療費や介護費の無駄遣いの問題は、財政審の場で、何度も議論してきたことでしたが、やはり現場の体験がないと知りえないことがありました。例えば、無駄遣いを促すようなモラルハザードは、利用者というよりもコーディネーションに立つ者が促している可能性があります。医療や介護制度の知識をほとんど持たない利用者にとって、何が無駄遣いであるかの判断さえつかないからです。

2. 救ってくれた医療
 こうした中で、妹と家族に光を与えてくれたのも医療でした。妹の状態を見かねて、プライマリケア(地域のかかりつけ医)制度について研究している知人に相談をし、彼女のネットワークを通じて、在宅医療を専門とする医師を紹介してもらいました。
 妹は、医療に強い拒絶感を持っていましたから、医師には半ば覆面で妹に接してもらいました。しかし、予想通り、妹は強い拒絶反応を示しました。しかし、医師は彼女から目をそらさず「あなたは逝くことになるでしょう、しかし、残された家族が笑顔になれません」と静かに述べて、妹の目をみつめていました。
 その後、妹は、一晩中、考えたのだと思います。翌日には、ナースと医師に謝罪をし、身を委ねるようになりました。この数か月、誰にも身体を障らせることはなかったので、驚きました。それからは、妹の表情は穏やかになり、味覚が戻り「おいしい」と発するようになり、家族の気持ちも明るくなりました。亡くなる前日に医師が訪れ、妹と薬の処方について会話をしていましたが、医師の提案を受け入れ、妹が薬の量について「300ミリで」と答えていました。それが、妹が話すのを聞いた最期の言葉になりました。母は、医師とナースの姿を見て「寄り添ってくれている」と述べました。
 先の在宅医とナースとの交流はたった5日間でしたが、妹にとって、また家族にとっても明るく穏やかな時で、救われたような気がします。

3. OECDによる日本の医療の評価
 妹の死後、この一連の出来事をどう理解したらよいのか葛藤しておりました。個人の私的な事件として終わらせるには、あまりの多くのものを含意しているように思えたからです。そのような時、先の医師を紹介してくれた知人の研究者から、OECDによる日本の医療制度の評価書を読むように勧められました。素人ながら、妹と私が経験した出来事を解釈することを助けてくれる見晴らしの良い報告書でした。

 例えば、日本の医療制度の改革は、主として資金調達に重点が置かれており、医療制度改革の主たる手段として診療報酬制度が導入され、一定の効果は認められるが、病院医療において、過剰提供を引き起こすような逆インセンティブをもたらしている可能性があること。その背景には、報酬の根拠となる評価システムがアウトカムではなく、インプット指標(診療時間の延長や看護師の追加雇用等)に基づいていること。医療の質についての基準が学会や地域によって異なり統一されていないことなどが指摘されています。
 また、プライマリケア(地域のかかりつけ医)については、診療報酬制度を通じて、それを促進しようとする動きはあるものの、専門の研修が義務付けられておらず、病院を退職した医師がそのまま開業しているケースが多く、プライマリケアの基盤が未整備であることなどが指摘されていました。
 そして、OECDは、医療の質に重点を置いた制度、評価、報酬システムに転換すべきと結論づけています。この質についてはいくつかの技術的な議論がありましたが、私は、その中心に置かれるべきは、母が述べていた「患者に寄り添う医療」であると思います。私は医療の専門家ではありませんから、それが医療の原点だとはとても言えませんが、少なくとも患者と家族が心から感謝することのできるものであると思います。

 この経験をどう生かしてゆくのか。どう社会に寄与するものにしてゆくのか。大きな課題を与えられたような気がします。私ができることは、ほんの僅かで、今まで学んできた評価論や市民社会論を活用することだけだろうと思います。しかし、先の医師や研究者のように既存の医療システムを変えるべく尽力されている方々とは、きっと、根底では共有するものがあり、新たなつながりが生まれるように思っております。そして、こうして社会の課題に向かいあう人々のお手伝いができるように、私自身が精進してゆかねばならないと思っております。

年明け早々、長文で失礼いたしました。
皆様のご健康を心からお祈りしております。

田中弥生

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